『百人一首一夕話』私訳 光孝天皇①
百人一首
御諱は時康、仁明天皇の第三皇子、母君は贈太政大臣総継(ふさつぐ)公の娘である贈皇太后宮藤原沢子である。在位は二年で小松天皇お呼びした。
君が為春の野に出でて若菜摘む我が衣手に雪は降りつつ
『古今集』春上に「仁和の帝(光孝天皇)が親王でいらっしゃった時に、ある人に若菜を下賜された時にお添えになった御歌」とある。仁和は光孝天皇の年号である。「皇子におはしましける」とは時康親王と呼ばれていたときのことで、「人」とは臣下の人のことである。御歌の意味は「あなたのもとへお届けしようと思って、まだ寒さの残る春の野に出かけてこの若菜を摘んでいましたが、その私の着物の袖に雪がしきりに降りかかって寒いことでありました」ということである。「衣手」は袖である。「君」という字はもともと目下の者が目上の人を指していう言葉であったが、親しく思う際には自分より下にあたる人も「君」といった。夫が妻を「君」と言ったり、親が子を「君」と言ったりする類である。
参考書籍
『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫 1972年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年
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君が為春の野に出でて若菜摘む我が衣手に雪は降りつつ
『古今集』春上に「仁和の帝(光孝天皇)が親王でいらっしゃった時に、ある人に若菜を下賜された時にお添えになった御歌」とある。仁和は光孝天皇の年号である。「皇子におはしましける」とは時康親王と呼ばれていたときのことで、「人」とは臣下の人のことである。御歌の意味は「あなたのもとへお届けしようと思って、まだ寒さの残る春の野に出かけてこの若菜を摘んでいましたが、その私の着物の袖に雪がしきりに降りかかって寒いことでありました」ということである。「衣手」は袖である。「君」という字はもともと目下の者が目上の人を指していう言葉であったが、親しく思う際には自分より下にあたる人も「君」といった。夫が妻を「君」と言ったり、親が子を「君」と言ったりする類である。
参考書籍
『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫 1972年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
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