『百人一首一夕話』私訳 河原左大臣 ①
百人一首
名は源融(とほる)、嵯峨天皇第十二皇子で、母は正四位下大原金子という。仁明天皇の皇子となって、承和五年皇太子がご元服の日に融もともに禁中でご元服になり、正四位下に叙せられる。それ以降昇進して貞観のはじめに正二位、同十四年左大臣に任ぜられる。六条の河原院にお住まいだったので、河原左大臣と名乗られる。
陸奥の忍ぶもぢ摺り誰故に乱れ初めにし我れならなくに
古今集恋四に題知らずとあって、第四句は「乱れんと思ふ」となっている。歌の意味は「奥州の信夫郡で生産されるもぢ摺りというものは、髪を振り乱したようにとりとめもなく模様を摺り付けた布地であるが、この私も誰のためにもぢ摺りの模様のように心が乱れ始めたのだろうか、私のせいではなくあなたのせいなのですよ」というものである。「もぢ摺り」は「摺り衣」のことで、昔は藍・忍ぶ草・萩・月草などを布に摺り付けて模様をつけていたのである。後世になると物の形を板に彫って、それに色を塗ってその上に布を摺り付けるようになった。
参考書籍
『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫 1972年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年
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陸奥の忍ぶもぢ摺り誰故に乱れ初めにし我れならなくに
古今集恋四に題知らずとあって、第四句は「乱れんと思ふ」となっている。歌の意味は「奥州の信夫郡で生産されるもぢ摺りというものは、髪を振り乱したようにとりとめもなく模様を摺り付けた布地であるが、この私も誰のためにもぢ摺りの模様のように心が乱れ始めたのだろうか、私のせいではなくあなたのせいなのですよ」というものである。「もぢ摺り」は「摺り衣」のことで、昔は藍・忍ぶ草・萩・月草などを布に摺り付けて模様をつけていたのである。後世になると物の形を板に彫って、それに色を塗ってその上に布を摺り付けるようになった。
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『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫 1972年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
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コメント
No title
2023-03-28 22:48 URL 編集
ご指摘ありがとうございます
ミスを訂正することができました。
ありがとうございました。
2023-03-29 06:56 URL 編集