『百人一首一夕話』私訳 参議篁③
百人一首
さてその後篁は春宮学士(とうぐうのがくじ)となり、清原夏野と共に勅命を賜って『令義解』を撰集された。その後承和五年藤原常嗣(つねつぐ)を聘唐大使、小野篁を副使として唐に派遣されることになった際、四艘の船を次々に海に浮かべてみた。大使常嗣の船は太平竜(たいへいりょう)という名でもっとも堅固に建造された船であった。副使篁の船はそれに次ぐ船であったが、どうしたことか第一の船に少し水が漏れる所があったので、大使常嗣は篁の船と乗り換えたいと願い、その旨を帝が聞きおよびになりお許しになられた。篁はこのことを聞き、たいそう怒って「最初に勅命を承った時、第一の船は大使、第二の船は副使と分配が決定されたものである。それなのに今破損した船を私に押し付けようとは何事であろうか。私篁はまだ未熟な身とはいえ、どうして常嗣の言いなりにならなければならないのか。」と言い、突然の病と称して遣唐使の役を辞退し、さらに西道謡という詩を作って遣唐使のことを非難されたのであるが、その中に帝に対して使うことが憚られるような語があったため帝は激怒された。勅命に従わなかった罪で死罪になってもおかしくないところを、一段軽くして流刑とし、篁の官職を剝奪して一般人とし、同年十一月に隠岐国に流されることとなった。篁はこの処分に少しもひるむことなく、配流地に向かう道中でも、謫行吟(たくこうぎん)という七言十韻の詩を作られ、その詩を伝え聞いた人々は篁の度量の大きさを称賛した。
参考書籍
『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫 1972年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年
本日もご訪問いただきありがとうございました。

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『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫 1972年
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コメント
はじめまして。
初めてコメントをいたしますが、お許しください。
離島マニアの私ですが、当然隠岐の島にも行きました。
その際に小野篁が彫ったとされる仁王像があるお寺さんに
お参りをさせていただきました。
山門で仁王像の写真を撮っていると住職がお昼時にも
かかわらず、庫裏に招き入れて、最終的には本堂で
お茶をいただきました。
その際に今回のお話を聞いて、私と同じ様な人生を
篁は歩んでいたのか。
と思い、親近感?を覚えたものです。
すでに私は定年で辞めておりますが、ヘクソカズラのツルの
様にズルズルと生きていました。
2022-10-22 09:26 闘将ボーイ URL 編集