『百人一首一夕話』私訳 猿丸大夫③
百人一首
かの道鏡は淡路廃帝(あはぢのはいてい)(淳仁天皇)の五年、始めて孝謙天皇にお会い申し上げて寵愛のされかたがはなはだしかったので、廃帝は常にそのことをお諫めになったが、孝謙天皇は聞く耳をお持ちにならなかった故、孝謙帝と廃帝とは不仲におなりになり、孝謙帝はとうとう廃帝を淡路国にお流しになり、自ら再度帝位におつきになり称徳天皇とお呼びすることになった。かくして称徳帝の天平神護元年に道鏡を太政大臣とし、同二年に法王の位をお授けになり三年正月道鏡を西宮の前殿にお坐らせになり、大臣以下の官人に命じて道鏡にお祝いの言葉を述べさせになった。これより先に太宰府の神主阿曾麿(あそまろ)という者が、かねてから道鏡の権勢があるのを観察して道鏡にへつらい、八幡宮の神託と偽って、道鏡を帝位におつかせになれば天下泰平が約束されるでしょうと天皇に申し上げた。道鏡はこのことを聞いて喜んだが、帝は和気清麻呂をお呼びになり次のようにおっしゃった。「この頃不思議な神託があう。汝は急ぎ宇佐に行き八幡宮の神命を聞いて来い」と。その時道鏡はひそかに和気清麻呂に次のように言った。「この度帝が八幡大神の勅使をあなたにお命じになったのは私が帝位につくことを帝に告げるためである。あなたはそのことをよく肝に銘じて帝に報告しなければなりません。もし成功した暁には上位の官職と位階をあなたに授けてその報酬としよう。」と。清麻呂はこの言葉を聞き捨てにして阿曾のもとへ向かったが、その途中真人豊永という人物に出会った。豊永は清麻呂に次のように語った。「道鏡がもし天皇の位を奪ってしまうことになれば、私はどんな顔をして奴の家臣となれというのだろう。もしそんなことになってしまえば貴殿とともに今の世の伯夷・叔斉となって、どこかの山に隠れ入ろう。」と。これを聞いて清麻呂も元来実直な人物であるから豊水の言葉に深く感じ入った。さて清麿が宇佐に詣でて都に帰り帝に申し上げるには、「私清麿は宇佐八幡大神のご神託を承りました。その内容は、我が国は天地開闢よりこの方、君主と家臣の区別は明確に決まっているにもかかわらず、今道鏡は非常識にも安易に帝位を望んでいることから、神は怒りその望みを受け入れることはなく、天皇位の継承は正当な天皇の系統の人物を立てるべきである、ということでした」周囲の誰憚ることなく申し上げたので、朝廷の場にいたすべての官人は清麿の言葉を聞いて冷や汗を流した。その際帝は黙然としておられたが、道鏡はこの言葉を聞いて大そう起こり、清麿を「穢麿(けがれまろ)」と改名させ大隅の国へ配流の刑に処したけれども、公卿大臣は道鏡の権勢を恐れ清麿を援ける人はいなかった。
参考書籍
『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫 1972年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年
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『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫 1972年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
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