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仏像学習 149 仏像永劫回帰10. 諸天

仏像
10 /23 2021
仏像学習 149 仏像永劫回帰10. 諸天

天の名がついている仏教のほとけはバラモン教やその他の宗教の神々がそのまま取り入れられて信仰されるようになったもの。

仏教が興起した際、すでに存在していた他宗教の神々に対して寛容な態度を示し、それらの神々を仏教の世界を守る守護神として扱うことによって受け入れられる戦略を取ったと考えられる。

日本における天部像で最古のものは法隆寺金堂四天王像。

四天王は仏教以前からインド人の間に信仰されていた神で、世界の中心にある聖なる山須弥山の頂上に住む帝釈天の眷属として山の中腹にある四方の門を守護する神とされていた。

仏像を安置する須弥壇は須弥山の名から来ている。

日本の四天王像で忿怒の表情を示した最初のものは法隆寺食堂の塑像四天王像。

四天王の像容を説く経典は『陀羅尼集経(じっきょう)』。

四天王の名前を覚える方法として「地蔵買うた」が使われている。(持国天、増長天、広目天、多聞天)。

密教流行以降の方位を守護する天部としては十二天像が一般的になった。

その他の護法神
金剛力士像:門を守護
八部衆:釈迦を守護
十二神将:薬師を守護

諸天のうち単独で大衆の信仰を得るようになった最初の部神は毘沙門(多聞)天。

『金光明最勝王経』に女性の天部像が護法神として吉祥天、弁財天、鬼子母神が記されている。

吉祥天は仏教では功徳天とされ、鬼子母神と徳叉迦の子で毘沙門天の妃とされる。インドでは幸福の女神でビシュヌ神の妃とされている。




参考文献
・『仏像 心とかたち[完全版]』望月信成 佐和隆研 梅原猛 著 NHKBOOKS 2018年
・『写真・図解 日本の仏像 この一冊ですべてがわかる!』 薬師寺君子 著 西東社 2016年


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