『百人一首一夕話』私訳 猿丸大夫②
百人一首
猿丸大夫の話
『古今集』の「真名序」に「大伴黒主の歌は、昔の猿丸大夫の系統で次の世代に属する」とある。この黒主は光孝天皇の仁和年間の人である。しかしこの「奥山に紅葉踏み分け」という歌は、光孝天皇第四の御子の是貞親王の家の歌合せでの読み人知らずの歌であるのに、猿丸大夫の歌としてとらえるのは不思議なことである。なぜならばこの歌合せの歌を猿丸大夫の歌とするならば黒主・猿丸大夫のともに、仁和の頃の人とすべきことになる。そうであれば『古今集』の「真名序」に黒主のことを評して「昔の猿丸大夫の系統で次の世代に属する」と書かれるはずがない。であればこの歌は記載通り読み人知らずの歌で、猿丸大夫の歌であるはずがない。さてこの人も昔から父祖も不詳の人と言われているが、宗祇の『百人一首古注』に猿丸大夫を「弓削道鏡(ゆげのだうきやう)と号す」と書いてあるために、種々の妄説が言い伝えられ、その上にその説を秘伝の説している。これは天武天皇の皇子に弓削王(ゆげのおほきみ)という人がおられたのを、道鏡と混同して言い伝えたものである。そえを後の世には俳優(わざおぎ)の狂言にまで取り上げて、猿丸大夫を道鏡と同一視したのは、あの宗祇の注の誤りに端を発している。
参考書籍
『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫 1972年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年
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『古今集』の「真名序」に「大伴黒主の歌は、昔の猿丸大夫の系統で次の世代に属する」とある。この黒主は光孝天皇の仁和年間の人である。しかしこの「奥山に紅葉踏み分け」という歌は、光孝天皇第四の御子の是貞親王の家の歌合せでの読み人知らずの歌であるのに、猿丸大夫の歌としてとらえるのは不思議なことである。なぜならばこの歌合せの歌を猿丸大夫の歌とするならば黒主・猿丸大夫のともに、仁和の頃の人とすべきことになる。そうであれば『古今集』の「真名序」に黒主のことを評して「昔の猿丸大夫の系統で次の世代に属する」と書かれるはずがない。であればこの歌は記載通り読み人知らずの歌で、猿丸大夫の歌であるはずがない。さてこの人も昔から父祖も不詳の人と言われているが、宗祇の『百人一首古注』に猿丸大夫を「弓削道鏡(ゆげのだうきやう)と号す」と書いてあるために、種々の妄説が言い伝えられ、その上にその説を秘伝の説している。これは天武天皇の皇子に弓削王(ゆげのおほきみ)という人がおられたのを、道鏡と混同して言い伝えたものである。そえを後の世には俳優(わざおぎ)の狂言にまで取り上げて、猿丸大夫を道鏡と同一視したのは、あの宗祇の注の誤りに端を発している。
参考書籍
『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫 1972年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年
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