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巡回健診診察マニュアル 133 最近既往歴で見た疾患 網膜中心静脈閉塞症

医療
01 /31 2023
網膜中心静脈閉塞症

1.概念
網膜中心静脈(網膜組織からの血液が心臓に帰るために集まってきて視神経乳頭の中心で集合した血管)に血栓が生じて、血流が低下するために、網膜全体に眼底出血が生じ、視力低下が生じる病気。
非虚血型と虚血型の2つのタイプに分類される。症状や予後が大きく異なる。
一般的に虚血型は視力も0.1以下で、治療をしても大きく視力回復することはなく、時に血管新生緑内障から失明してしまうこともある。。
非虚血型は予後が良好。
発症後3年ぐらいの間に、非虚血型から虚血型に移行する場合が約30%程度あるとされている。
中高年に生じることが多く、大規模臨床試験の平均年齢は65歳前後。
少数ながら20代30代の人に発症することもある。若年者の場合は高血圧の合併がなく、血管の炎症が原因であることが多い。


2.原因
多くの場合高血圧・動脈硬化が原因。糖尿病などもリスクを高める一因。


3.症状
急速な視野異常、変視症、視力低下が生じる。
視野異常は片目の全体が、ぼんやりとかすんで薄暗く見えるが、真っ暗ではない、と言った症状が典型的。一部暗い部分とある程度明るい部分が混在するのも特徴。
視力低下は病状の程度により、手動弁といった高度の視力低下を来たす場合から1.0 近くと正常に近いものまで様々。


4.検査
眼底検査:病変の範囲、血管閉塞の程度を知るため
光干渉断層計(OCT)検査:視力に影響する黄斑のむくみの程度を評価するため
蛍光眼底造影検査:網膜の循環状態を調べることで、病気のタイプ、状態など治療方針の決定に重要な情報を得る


5.治療
黄斑のむくみのために視力低下をきたしている場合は抗VEGF治療が行なわれることがほとんど。
視力がいい場合は、様子を観ることもある。
副腎皮質ホルモン(ステロイド)を眼球の外側に注射することもある。
視神経乳頭での血管や神経の炎症が原因と考えられる場合には、全身への抗炎症療法(ステロイド剤の点滴あるいは内服)を行う。
虚血型の場合には、硝子体出血や血管新生緑内障を予防するために、レーザー治療(汎網膜光凝固)を行う。
硝子体出血を生じた場合には硝子体手術を行い、出血の除去とレーザー治療(汎網膜光凝固)を行う。



参考サイト
・日本眼科学会
https://www.nichigan.or.jp/public/disease/name.html?pdid=39
・三和化学研究所
https://www.skk-net.com/health/me/c01_05.html


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『百人一首一夕話』私訳  陽成院 ①

百人一首
01 /30 2023
御諱を貞明(さだあきら)、清和天皇の第一皇子、母君は贈太政大臣長良(ながよし)公の娘で、皇太后宮高子(たかいこ)。つまり二条后のことで、藤原基経公の妹であった。

  筑波嶺の峰より落つる男女川恋ぞ積りて淵となりぬる

 『後撰集』恋三に「釣殿のみこに遣しけると」とある。釣殿院というのは光孝天皇の御殿の名前である。娘の綏子(すゐし)内親王にこの釣殿を譲ってお住まわせになったことから、この内親王を釣殿のみこと申し上げた。御歌の意味は「筑波嶺も男女川も常陸の国の名所であるが、筑波山の嶺のその峰から流れ落ちる水が麓の男女川という川になるように、はじめは知らず知らずに思い始めた私の恋も、積もり積もって今となってはあの男女川の淵のように深くなってしまった」というものである。男女川の「み」の字は、「水」の字掛けてお詠みになっている。この釣殿という御殿は池や川などの水上に張り出すかたちで建造した建物である。そこに座ったまま魚が釣れるようにして、勾欄の内側は板敷にしたものである。



参考書籍
『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫 1972年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年


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『サピエンス全史』を英語版で読むための単語帳(英検2級〜準1級レベルの人向け) 63 pp341〜345

単語帳
01 /29 2023
p341

16 The Capitalist Creed

・sous:浸す

・per capita:一人当たりの

・stupendous:途方もない


p342

・up-and-coming:積極的である;新進気鋭の

・contractor:土建業者

・to the tune of:大枚~も

・impecunious:無一文の

・be wont to do:~するのを常として


p343

・Ponzi scheme:ねずみ講

・deception:詐欺、ごまかし

・solvency:支払い能力のあること


p344

・tangible:有形の、実体のある

・breed:(動植物の)品種、属

・in a bind:困って

・predicament:苦境、窮地


p345

・penance:懺悔

・docile:すなおな、従順な

・scullery:食器洗い場




使用書籍
・Sapiens: A Brief History of Humankind Yuval Noah Harari Vintage(Penguin Random House UK) 2015
・新英和中辞典 第5版  研究社 1985


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対訳『古事記伝』 106

本居宣長
01 /28 2023
526.されど此記には、殊に此ノ違(タガ)ひはいといとまれにして、惣(スベ)ての中に、わづかに二十ばかりならでは見えざる、

訳:しかしこの『古事記』では、特にこの間違いは非常にまれであって、全体でもわずかに二十個ほどしか見えない。

 
527.其中に十ばかりは、婆ノ字なるを、その八ツは、一本には波と作(ア)れば、のこりニツ三ツの婆も、もとは波なりしことしられたり、

訳:その中で十個ほどは「婆」の字であり、そのうち8個は、ある本では「波」と書いているので、残りの二、三の「婆」も、元は「波」だっただろうと知れる。
 

528.然れば、記中まさしく清濁の違(タガ)へりと見ゆるは、ただ十ばかりには過ずして、其ノ餘(ホカ)幾百(イクモモチ)かある清濁は、みな正しく分れたるものを、いといとまれなる方になづみて、なべてを疑ふべきことかは、

訳:ということは、『古事記』の中で清濁の明らかに間違っていると思えるのは、ただの十個を越えることはなく、その他数百もある清濁はすべて正しく書かれているのだから、数少ない誤りを取り上げて、すべてを疑うべきであろうか。


529.さて書紀は、此記に比ぶれば、清濁の違へることいと多し、

訳:ところが『日本書紀』は、『古事記』に比べて、清濁の誤りがたいへん多い。


530.こはいといふかしきことなり、

訳:これはたいそう疑わしいことである。



参考書籍
『本居宣長全集』第九巻 筑摩書房 1966年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『古事記注釈 第一巻』 西郷信綱 著 ちくま学芸文庫 2005年
『本居宣長『古事記伝』を読む』Ⅰ~Ⅳ 2010年
『新版古事記』 中村啓信 訳注 KADOKAWA 2014年 電子書籍版
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年
『日本書紀上・下』 井上光貞監訳 2020年 電子書籍版



参考サイト
雲の筏:http://kumoi1.web.fc2.com/CCP057.html


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文学作品最初と最後の一文  幸田露伴 ②

最初と最後の一文
01 /27 2023
6.『平将門』(1920年)
最初の一文:「千鍾の酒も少く、一句の言も多いといふことがある。」
最後の一文:「こんな事は余談だ、余り言はずとも「春は紺より水浅黄よし」だ。」


7.『蒲生氏郷』(1989年)
最初の一文:「大きい者や強い者ばかりが必ずしも人の注意に値する訳では無い。」
最後の一文:「家康も家康公と云って然るべき方である、利家も利家公と云って然るべき人である、其他上杉でも島津でも伊達でも、当時に立派な沸り立った魂は少くないが、朝鮮へ国替の願を出そう者は、忠三郎氏郷のほかに誰が有ったろう。」


8.『運命』(1925年)
最初の一文:「世おのずから数すうというもの有りや。有りといえば有るが如ごとく、無しと為なせば無きにも似たり。」
最後の一文:「而して楡木川の客死、高煦の焦死、数たると数たらざるとは、道衍袁垬の輩の固より知らざるところにして、たゞ天之を知ることあらん。」



参考書籍
『幸田露伴全集』 Kindle版


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『日本文学史序説』Paragraph Briefings 社会的背景 その2

加藤周一
01 /26 2023
社会的背景 その2
⑥平安時代の文学的階層を担う平安貴族には二つの特徴があった。第一に、傑作を生みだした作者に下級の貴族が多かった、第二に女性が多かった。それを言い換えれば、平安時代を代表する多くの抒情詩や物語を生み出したのは、貴族権力の中心ではなくその周辺にいた人々であった。彼らは宮廷生活を観察するには充分に近い位置に、またそこでの権力闘争にまきこまれないためには充分に遠い位置にいた。

⑦政治的権力の中心が貴族から武士に移った鎌倉以降の封建時代においても、文学的階層は依然として貴族・僧侶であった(『新古今集』、『菟玖波集』、能、軍記物、『増鏡』、五山の詩文)。

⑧平安時代に文学的階層を構成した文学者や芸術家は、鎌倉時代以降の武士社会において疎外傾向にあり、しばしば「世を捨てる」ようになった。

⑨徳川時代になって武士階層が自ら読み、書き、彼ら自身の文学を作り出すようになった。徳川時代後期には町人農工商出身者も文学的階層を担うようになった(秋成、京伝、三馬、春水、山陽、竹田、茶山、如亭)。

⑩明治以後の文学的階層は都市中産階級で、文学者の生家は、江戸以来の町人・士族(鴎外、荷風)、地方の中小地主層(藤村、花袋)の二範疇に大別される。


使用書籍
・『加藤周一著作集』巻4・巻5 平凡社 1979年



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『夕陽妄語』を読むために 「抱一の時代」

加藤周一
01 /25 2023
「抱一の時代」 2001.6.26

・琳派:江戸時代の絵画の一流派。俵屋宗達・本阿弥光悦を祖として尾形光琳が大成し、酒井抱一などに受け継がれた。鮮麗な色彩や金泥きんでい・銀泥を巧みに用いた装飾的な画風を特色とする。宗達光琳派。光琳派。

・俵屋宗達((生没年不詳):桃山から江戸初期にかけての画家。俵屋は家号。いわゆる琳派の祖。京都の上層町衆の出身とみられ、本阿弥光悦書の和歌巻の金銀泥下絵を描き、また扇面画や色紙絵などに大和絵の伝統を新解釈した斬新な装飾的画法を示し、水墨画にも新風を吹き込んだ。

・尾形光琳(1658~1716):江戸中期の画家・工芸意匠家。京都の人。乾山の兄。初め狩野派山本素軒に学び、のち光悦や宗達の作風の影響を受け、大胆で軽妙な画風により独自の造形美を展開、琳派を確立した。代表作に「燕子花図屏風」「紅白梅図屏風」など。

・尾形乾山(1663~1743):江戸中期の陶工・画家。京都の人。光琳の弟。若年から学問を好み,光悦の孫空中斎光甫や楽一入に陶法の手ほどきを受け、洛西双ヶ岡に習静堂を建てて隠棲した。陶法を野々村仁清に学び、京都で鳴滝窯を開き、晩年は江戸入谷に窯を築いた。絵画は「八ツ橋図」「花籠図」など。

・酒井抱一(1761~1829):江戸後期の画家。江戸の人。姫路城主酒井忠以の弟。37歳のとき西本願寺で出家、権大僧都となったがすぐ隠退し下谷根岸に雨華庵を営んで書画・俳諧に親しんだ。絵は狩野派をはじめ諸派に学んだ。尾形光琳に傾倒。琳派の画風に繊細な叙情性を加味し、同派の最後を飾った。俳諧・和歌・書などにも長じた。代表作「夏秋草図屏風」。

・鈴木其一(1796〜1858):江戸時代後期の画家。琳派の酒井抱一の内弟子となり、同門の鈴木蠣潭没後、鈴木家をつぐ。大胆な装飾的画風が特色。代表作品に「夏秋渓流図屏風」「薄椿図屏風」。

・佐久間象山(1811~1864):江戸末期の学者。信濃松代藩士。初め朱子学を、のちに蘭学を修め、西欧の科学技術の摂取による国力の充実を主張したが、京都で攘夷派に暗殺された。門下に勝海舟・吉田松陰らがいる。

・『東海道中膝栗毛』:滑稽本。8編18冊。十返舎一九作。1802~1809刊。江戸八丁堀の弥次郎兵衛と喜多八が失敗を演じながら旅をする、江戸から京坂までの道中記。好評を博し、20年にわたって続編を出した。

・『浮世風呂』:江戸後期の滑稽本。4編9冊。式亭三馬著。1809~1813刊。銭湯に集まる江戸庶民の会話を通して、当時の生活の諸相を描く。



チェック内容
「抱一はいわば町人となった上層武士であり、その友人蜀山人は町人と化した下層武士である。」



参考書籍
日本大百科全書 小学館
世界大百科事典 平凡社
デジタル大辞泉 小学館
ブリタニカ国際大百科事典 ブリタニカ・ジャパン
精選版 日本国語大辞典


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仏像学習 180 展覧会回顧 1 国宝大仏殿唱和大修理落慶記念 東大寺展

仏像
01 /24 2023
仏像学習 180 展覧会回顧 1 国宝大仏殿唱和大修理落慶記念 東大寺展

東京国立博物館
1980年4月8日~5月25日

北海道立近代美術館
1980年6月21日~7月13日

名古屋市博物館
1980年7月23日~8月17日

福岡市美術館
1980年8月24日~9月15日

奈良国立博物館
1980年9月23日~10月21日



・国宝 不空羂索観音宝冠

・重文 菩薩半跏像

・国宝 誕生釈迦仏立像・灌物版仏盤

・釈迦如来坐像 多宝如来坐像

・重文 二月堂本尊舟形光背

・重文 千手観音立像

・重文 弥勒仏座像

・重文 十二神将立像

・重文 阿弥陀如来坐像

・重文 愛染明王坐像

・重文 訶梨帝母坐像

・重文 持国天・多聞天立像

・重文 十一面観音菩薩立像

・重文 五劫思惟阿弥陀如来坐像

・重文 阿弥陀如来立像

・重文 地蔵菩薩立像

・重文 釈迦如来坐像

・重文 地蔵菩薩坐像

・重文 地蔵菩薩立像

・重文 聖観音菩薩立像

・泰山府君坐像

・閻魔王坐像

・文殊菩薩騎獅像

・重文 不動明王及び二童子像

・地蔵菩薩立像

・千手観音・四天王立像

・大黒天立像



参考文献
・『東大寺』図録 1980年 朝日新聞社



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金子みすゞ私的鑑賞  125. 紙ふうせん

金子みすゞ
01 /23 2023
紙ふうせん  

一つ、ついては、手をたたく、
紙ふうせんののぼる空。

絹の旗雲、羽の雲、
柳のやうな、枝の雲。

「さんさん笹山」その唄の
猿もさんさん、笹山で、
お手々たたいて春の日を、
みなでたのしくあすぼうし、

ひとりあそびもお日和は、
ひとりあそびも春の日は。


『金子みすゞ全集』 Ⅱ 空のかあさま p253


4連10行
12、12。 12、12。 13 12、12、12、 12、12。


「紙ふうせん」という言葉を聞くとどこかしら郷愁を誘われます。

赤・白・黄・緑などの色が目に浮かびます。

平成以降に生まれた人は「紙ふうせん」と聞いてもピンとこないかもしれません。

つく際には紙が破れないように、しかもすぐ落ちてこないように、力加減に気を使います。

そこがゴム風船に比べ、遊びとしての要素が大きいと思います。

1891年に「紙手鞠」などの名称で流行したようなので、1903年生まれのみすゞさんの世代には玩具として定着していたと思われます。

その紙ふうせんをつくと、当然視線が上に向かいます。

つくことだけに集中してしまうと紙ふうせんしか見えませんが、みすゞさんには空の雲が見えてしまいます。

そこからさらにみすゞさんの思考は、紙ふうせんをついて落ちてくるまでに「手をたたく」動作から、同じ手をたたく「さんさん笹山」と唄いながら手をたたく遊びに移ります。

「さんさん笹山」という唄やそれを用いた遊びは私は知りません。

ネットで調べても該当する情報はヒットしませんでした。

ただ全集には註として以下の文が揚げられていることから、唄いながら手をたたく遊びと推測されます。

「さんさん笹山お猿が一匹手をたたく」一つ手を拍つ、
「さんさん笹山お猿が二匹手をたたく」二つ手を拍つ。

そしておそらくこの詩の主眼は、「旗雲」や「枝の雲」しかない晴れた春の日のみんなで遊び日和の日なのに、「みなでたのしく」遊ぶ「さんさん笹山」はしたくてもできない、「ひとりあそび」の紙ふうせんしかできない、一人でいる状況ではないでしょうか。



名詞:   一つ、 手(お手々)(2回)、 紙ふうせん、 空、 絹、 旗雲、 羽、 雲(2回)、 柳、 枝、 笹山(2回)、 唄、 猿、 春(2回)、 日(2回)、 みな、 ひとりあそび(2回)、 お日和

形容詞:  たのしい

動詞: つく、 たたく(2回)、 のぼる、 あすぶ 



通算登場回数  
今回登場    (お)空(夕ぞら、青空、夜ぞら、夕やけ空):33作目    雲(雲間):11作目   
 
今回登場なし  (お)海(外海内海):24作目   母さん(お母さま、母さま、かあさん、かあさま):19作目    赤(赤い、あかい):19作目   青(青い、青む):18作目    白(白い、しろい、眞白な):16作目    (お)舟・小舟・船・帆かけ舟:15作目  お月さん(お月さま、月):10作目    (お)花:10作目   (お)星(さま):7作目    黒い:7作目   雪:6作目    波:6作目    (お)魚(さかな):5作目(タイトルのみ1作)    (お)父さま(父さん):4作目    みどり(こみどり):4作目    お祖母さま:3作目 石ころ(石):3作目 紅い:2作目 紺:2作目   藍いろ:1作目   紫(むらさき):2作目   金:1作目   さくら:1作目  


参考書籍
『新装版 金子みすゞ全集Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』 JULA出版局 1984年
『童謡詩人金子みすゞの生涯』 矢崎節夫 著 JULA出版局 1993年
『別冊太陽 生誕100年記念 金子みすゞ』 平凡社 2003年
『没後80年 金子みすゞ ~みんなちがって、みんないい。』 矢崎節夫 監修  JULA出版局 2010年
『金子みすゞ 魂の詩人』 増補新版 KAWADE夢ムック 文藝別冊 河出書房新社 2011年
『永遠の詩1 金子みすゞ』 矢崎説夫 選・鑑賞 小学館eBooks 2012年
『金子みすゞ作品鑑賞事典』 詩と詩論研究会編 勉誠出版 2014年



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各国個人的調査  ブータン王国

国情報
01 /22 2023
ブータン王国 ( 不丹 )


0.国名・国旗      
国名
サンスクリット語の「ボット(チベット)」と「アンタ(端)」の合成語「ボッタンタ」が、転訛したもので、「チベットの端、チベットの国境地方」の意味。サンスクリット語で「高地」を意味する「ブーウッタン」説もある。自称は「ドゥルックユル(龍の国)」。

国旗
比率 2:3 1972年制定

中央に大きく描かれている白龍は王家の守護神で、寛大と清浄を表す。
龍の爪の中で留められた4つの宝石は富を象徴。
対角線で区切られている黄(サフラン色)は王家の権威を表し、オレンジ色はラマ教(チベット仏教)への信仰を表す。
白:純粋さと忠誠心を表す。


1.面積
38,394㎢ (九州とほぼ同じ)


2.人口・人口密度
約77.9万人(2021年 世銀)

20.3人/㎢


3.首都
ティンプー


4.言語
ゾンカ語(公用語)等


5.宗教
チベット系仏教、ヒンドゥー教等


6.略史
17世紀:ガワン・ナムゲルが実権を掌握。
19世紀:ウゲン・ワンチュクが初代の世襲藩王に就任。
2008:王政から議会制民主主義を基本とする立憲君主制に移行。


7.通貨
ニュルタム


8.政治
立憲君主制

元首:国王

議会:二院制


9.経済
農業、林業、電力(水力発電)、観光


10.世界遺産(0件)


11.その他
・国技はアーチェリー。オリンピックの参加種目はこれまでアーチェリー1種のみ。



参考サイト
外務省:https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bhutan/data.html#section1


参考書籍
『国旗・国歌の世界地図』21世紀研究会編 文春新書 2008年
『今がわかる時代がわかる 世界地図 2016年版』 成美堂出版
『世界遺産大事典』上・下 マイナビ出版 2016年
『なるほど知図帳世界 2017』 昭文社
日本大百科全書 小学館
世界大百科事典 平凡社


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