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著者自身による書中評 および 私のこの一文

書評
02 /28 2022
『美術の誘惑』
宮下規久朗 著  光文社新書 2015年 電子書籍版


・「美術は、単に優雅な趣味の対象であるばかりでなく、社会や文化全般に強く関係するものだ。政治経済と深く関わり、生老病死を彩り、人の欲望や理想を反映するーー。西洋でも東洋でも、美術は歴史の局面で重要な役割を果たしてきた。そのような美術は、あらゆる人を惹きつける力がある。本書は、そんな美術の誘惑について様々なトピックによって紹介しようという試みである。」1.5%

・「日本には多くの美術館があって大きな展覧会がいつも開催されているので、それらを見て回るときの自分なりの楽しみ方のヒントとなるものを目指した。どこから読んでいただいてもかまわない。美術に対する考えが少しでも変わり、さらん、美術や美術史に興味を持っていただければ幸いである。」1.5%

・「本書は、『産経新聞』夕刊に毎月連載している「欲望の美術史」の2013年7月から約2年間分の記事を、それぞれ大幅に加筆してまとめたものである。」95.9%



・・・私のこの一文・・・
「美術とは純粋な芸術的感動を与えるだけのものではなく、元来は祈りや宗教的な動機に基づくものであり、芸術性以前に、貴重で珍奇なものへの関心や好奇心の上に成り立っている。」46.8%



引用後の%は電子書籍での位置を表します。


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西洋画家紀伝 17.アントニオ・デル・ポライウォーロ

西洋美術
02 /27 2022
アントニオ・デル・ポライウォーロ
Antonio del Pollaiuolo

生:1432  フィレンツェ
没:1498  ローマ


・15世紀ルネサンス期のイタリアの画家・彫刻家・版画家

・弟子にボッティチェッリがいたと言われている。

・人体構造を学ぶために死体を解剖したと言われている。

・鶏肉屋の息子だったことからポライウォーロ(「ポライオ」はイタリア語で「鶏小屋」の意味)と呼ばれるようになった。




作品
・1467:『ポルトガル枢機卿礼拝堂のための祭壇画』フィレンツェ、サン・ミニアト・アル・モンテ教会
・1465頃:『若い女性の肖像』ベルリン、ムゼウムスインゼル
・1470年代:『裸の男たちの戦い』フィレンツェ、ウフィッツィ美術館
・1470〜1480:『アポロとダフネ』ロンドン、ナショナル・ギャラリー
・1473〜1475:『 聖セバスティアヌス』ロンドン、ナショナル・ギャラリー
・1475頃:『ヘラクレスとヒュドラ』フィレンツェ、ウフィッツィ美術館
・1478頃:『 ヘラクレスとアンタエウス』フィレンツェ、ウフィッツィ美術館



参考書籍
・『西洋美術史ハンドブック』 高階秀爾 編 新書館 1997年
・『増補新装 カラー版 西洋美術史 』 高階秀爾 監 美術出版社 2002年
・『いちばん親切な 西洋美術史』 池上英洋 著  新星出版社 2016年
・『鑑賞のための西洋美術史入門』 早坂優子 著  視覚デザイン研究所 2006年
・『知識ゼロからの西洋絵画史入門』 山田五郎 著 幻冬舎 2011年
・『改訂版 西洋・日本美術史の基本 美術検定1・2・3級公式テキスト』 美術検定委員会 編 美術出版社 2014年
・『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』 木村泰司 著 ダイヤモンド社 2017年
・『世界の美術 コンパクト版』 アンドリュー・グレアム=ディクソン 監 河出書房新社 2017年



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漱石・読んだふり 『薤露行』ニ.鏡

漱石
02 /26 2022
漱石・読んだふり 『薤露行』ニ鏡


登場人物(登場順)
・シャロットの女

・ランスロット


ストーリー
・シャロットの女が、窓の外を直接見ると呪いが降りかかる運命にあるために、鏡に映る世界にのみ生きていることの叙述。

・鏡の中に騎乗姿のランスロットが銀の光となって現れ、シャロットの女は窓のそばに駆け寄り、顔を外に突き出す。その時鏡は真っ二つに割れて粉々に砕け散り、シャロットの女は倒れる。


語句
・瓢(ひさご):瓢箪。特に、その果実から作った容器。酒などを入れる。

・跼蹐(きょくせき):かしこまって身を縮めること。圧迫されて自由に行動できないこと。

・万頃(ばんけい):地面または水面が広々としていること。「頃」は中国の地積の単位で、100畝。

・繽紛(ひんぷん):多くの物が入り乱れて盛んなさま。

・梭(ひ):機織の道具。木または金属で舟形につくったもので、緯(よこいと)を、経(たていと)の中にくぐらせるもの。



繰り返す表現
・「シャロットの女は夜ごと日ごとに見る。夜ごと日ごとに鏡に向える女は、夜ごと日ごとに鏡の傍に坐りて、夜ごと日ごとのはたを織る。ある時は明るきはたを織り、ある時は暗きはたを織る。」



参考図書
『漱石全集』第三巻 岩波書店 1978年


日本大百科全書 小学館
世界大百科事典 平凡社
デジタル大辞泉 小学館
ブリタニカ国際大百科事典 ブリタニカ・ジャパン


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復習「アタック25」 2021.5.16

アタック25
02 /25 2022
2021.5.16 クイズ実力者大会 

Q1.アナグラム 慣用句
「師匠泣いた 音楽が薬 屋根」

Q2.ブランデーの「シャンディ・ガフ」はビールを何という炭酸飲料で割ったものか

Q3.現在の東京都庁舎を設計した建築家

Q4.通称「ナポレオンフィッシュ」の和名

Q5.ドリトル先生物語シリーズの作者

Q6. 2021年4月白鴎大学の学長に就任した人物

Q7.日本の元号で明治の2つ前

Q8.2021年4月14日日本郵便が発行した1円切手にデザインされているキャラクターの名前

Q9.世界最大の温泉施設「ブルーラグーン」がある国

Q10.有人宇宙船や人工衛星の打ち上げが行われるバイコヌール宇宙基地がある国



A1.少年老い易く学成り難し

A2.ジンジャーエール

A3.丹下健三

A4.メガネモチノウオ

A5.ヒュー・ロフティング

A6.北山修

A7.元治

A8.ぽすくま

A9.アイスランド

A10.カザフスタン



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『百人一首一夕話』私訳  安倍仲麿④

百人一首
02 /24 2022
 ところがこの帰朝に際し、船が海上で暴風雨に遭い、仲麿が溺れ死んだという風の便りが唐にもたらされると、李白が次のような詩を作って慟哭した。
 
 日本晁卿辞帝都(につぽんのてうけいていとをじす)
 片帆百里繞蓬壺(へんぱんはくりほうこをめぐる)
 明月不帰沈碧海(めいげつかへらずへきかいにしづむ)
 白雲秋色満蒼梧(はくうんしうしよくさうごにみつ)

晁卿とは仲麿が唐で改名して朝衡と名乗っており、「朝」の字と「晁」の字の音が同じであることから、「晁卿」とも言われていた。さて仲麿は難船の災を免れ、しばらく安南に留まりその後唐の都に戻られたので、玄宗皇帝は以前のように仲麿に官位を授けられ、その子粛宗皇帝の代になると、上元年中に左散騎常侍(ささんぎじやうじ)・安南都護(あんなんとご)という官位に抜擢され、また光禄大夫(くわうろくたいふ)・御史中丞(ぎよしちうじよう)・北海郡開国公(ほくかいぐんかいこくこう)に官位が移り三千戸の領地が与えられたが、粛宗皇帝の子代宗皇帝の大暦五年正月に七十歳で唐でお亡くなりになったので、代宗皇帝は潞州大都督(ろしうだいととく)の官位をお与えになった。仲麿と共に帰朝しようとした清河も、とうとう唐に留まりになったが、この人は左大臣藤原房前の子息であることから故孝謙天皇が特に御寵愛され、後に渤海国の使者高元度(こうげんと)にことづけして帰朝をお勧めになったのであるが、清河は唐に留まり名を河清(かせい)と改めた。その後光仁天皇の宝亀元年三月新羅王より級飡金(きふざんきん)・初正等(しよせいとう)を使として朝貢があった時、不礼があったためこの使者を咎めるべきであるということになったのであるが、彼らは仲麿・清河等の信書をことづかって来た功績に免じてその不礼を咎めず、天皇は太宰府において饗応おさせになった。その後宝亀十年五月唐の使者孫興進(そんこうしん)・心怤期(しんふき)らが日本に来たので、右大臣河麿の邸宅において唐の使者をもてなさせになり、綿三千屯(つつみ)を渡して帰国させになった。この使者の便りに仲麿が唐で亡くなったことをお聞きになったところ、日本では仲麿の家系が衰退していたことをお憐みになり、葬祭の費用として̪絁(あづまぎぬ)百疋白綿三百屯をお与えになった。その五十七年後仁明天皇の承和三年に、藤原常嗣(つねつぐ)と小野篁とを遣唐使として派遣される時、これまでに日本からの使者で唐において亡くなった者八人に位を授けて正二位を贈られた。その詔には「故留学問贈従二品安倍朝臣仲麿、大唐光禄大夫右散騎常侍兼御史中丞北海郡開国公贈潞州大都督朝衡(だいたうのくわうろくたいふうさんきじやうじけんぎよしちうじようほくかいぐんかいこくこうぞうろしうだいととくてうかう)に正二品を贈る」とお書かせになった。初めて仲麿が入唐した際その供人として渡航した羽栗吉満(はぐりのよしまろ)という人物がいた。仲麿に従って唐にいる間に、唐の女を娶り子供を1人もうけた。その名を翼(よく)といったが、天平五年広成が帰朝の際仲麿に暇乞いをして子の翼と伴い日本に帰った。この翼という人物は聡明で、帰朝の後出家して学業に特に長じていることが朝廷の耳に伝わったことから、朝廷は彼を還俗させ正二位を授け桓武天皇の延暦十年まで存命したということである。



参考書籍
『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫 1972年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年


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『サピエンス全史』を英語版で読むための単語帳 40(p 226〜p 230)

単語帳
02 /23 2022
p226

The Imperial Cycle


p227

Good Guys and Bad Guys in History

・purge:洗い清める


p228

・taint:腐らせる、堕落させる

・disingenuous:腹黒い、不誠実な

・window-dressing:みせかけ、粉飾

・bigotry:がんこな偏見

・unadultrated:混ぜ物のない、生一本の

・raj:(インド)主権

・dismay:うろたえさせる、ひどくびっくりさせる

・persecute:迫害する

・subcontinent:亜大陸(インド、グリーンランド)

・warring:敵対している、相争う

・lingua franca:共通語;通商語


p229

・sahib:(植民地時代に印度人がヨーロッパ人に対して呼びかけに用いて)紳士、だんな

・divest:奪う


p230

・resent:腹を立てる、憤る

・mutilation:骨抜き

・sanctify:是認する




使用書籍
・Sapiens: A Brief History of Humankind Yuval Noah Harari Vintage(Penguin Random House UK) 2015

・新英和中辞典 第5版  研究社 1985


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対訳『古事記伝』 76

本居宣長
02 /22 2022
376.高ノ字は、地名高志(コシ)と、人ノ名高目郎女丸高王(コムクノイラツメマロコノミコ)と、これらのみなり、

訳:「高」の字は地名の「高志(コシ)」と人名の「高目郎女丸高王(こむくのいらつめまろこのみこ)」のニ例だけである。
 
377.碁ノ字は、或は基ノ字に作(カケ)る處もあり、

訳:「碁」の字は、「基」の字を書いた所もある。


378.是レは本よりニツかとも思はるれど、諸本互い(タガヒ)に異にして、定まらざれば、本は一ツなりけむが、誤りて二ツにはなれるなり、

訳:これに関しては、もともと「碁」と「基」の二つあったようにも思えるが、諸本さまざまで、定まった使い方がないので、元はどちらか一つだったのが、写し誤って二つになったのではないか。


379.かくて何(イヅ)れを正しとも、今言がたけれども、姑(シバラ)く多き方に定めて、「基」をば誤リとしつ、

訳:どちらが正しいか今のところ断定できないので、取りあえず多い方を正しいと考えて、「基」を誤りとした。


380.其ノ字は、上巻ノ歌に只一ツあるのみなり、【その同言の、前後に多くあるは、みな碁其ノ字を書たれば、是レはたその字の誤リにこそあらめ、】

訳:「其」の字は、上巻の歌に唯一つあるのみである。【その同じ部分の、前後に多く出てくるのは、みな「碁」、「基」と書いてあるので、「其」も「碁」または「基」の誤写ではないだろうか。】



参考書籍
『本居宣長全集』第九巻 筑摩書房 1966年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『古事記注釈 第一巻』 西郷信綱 著 ちくま学芸文庫 2005年
『本居宣長『古事記伝』を読む』Ⅰ~Ⅳ 2010年
『新版古事記』 中村啓信 訳注 KADOKAWA 2014年 電子書籍版
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年
『日本書紀上・下』 井上光貞監訳 2020年 電子書籍版


参考サイト
雲の筏:http://kumoi1.web.fc2.com/CCP057.html


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文学作品最初と最後の一文  谷崎潤一郎 33

最初と最後の一文
02 /21 2022
161.『吉井勇君に』(1952年)
最初の一文:「吉井君 毎年君は宮中の歌御會の用などがあつて正月は東京へ出て來る例になつてをり、ついでに熱海へも立ち寄つてくれたものだが、今年は上京しないのださうだね。」
最後の一文:「終戦以來五年間同じ土地で暮したが、又君と別れ別れになりさうだ。」


162.『或る時』(1952年)
最初の一文:「日本橋區南茅場町、――今はたしか日本橋區に、いや中央區に南茅場町と云ふ町名はない、大震災前迄あつたその町は、震災後北島町龜島町などと云ふ附近の町を合併して出來た、ただの茅場町と云ふ町の一部になつた。」
最後の一文:「すでに兩親の齢を越してゐる今の私は、晩年の兩親の世路の艱難に打ちひしがれた姿を思ふと涙なきを得ないのであるが、少年の時に見たあの光景の記憶は、幾分かでも此の不孝の子の悲しみを和らげ、悔恨を輕くしてくれるのである。」


163.『上山草人のこと』(1954年)
最初の一文:「世の中の移り變りの激しさは今に始まつたことではないが、私などの靑年時代、明治の末から大正頃にかけての至つてのんびりとした世相に比べると、此の十年來の人の心のあわただしさはまことに驚くばかりである。」
最後の一文:「古の新羅の國の博士らが星を指しけん石甃(いしだたみ)かな」


164.『幼少時代』(1955年)
最初の一文:「私は多分それが私の四五歳の時のことであつたらうと思ふ記憶を、二つ三つ持つてゐる。」
最後の一文:「大和田建樹の「日本歴史譚」なども。ところどころさう云ふ風にして覚えた。」


165.『過酸化マンガン水の夢』(1955年)
最初の一文:「八月八日朝いでゆにて上京。」
最後の一文:「………予はそんなことを考えへながら再び睡り始めた。」



参考書籍
『谷崎潤一郎全集』第17巻 中央公論社 1982年


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備忘録・雑記ラ

『夕陽妄語』を読むために 「鈴木大拙と国会」

加藤周一
02 /20 2022
「鈴木大拙と国会」  1999.7.21

・鈴木大拙(1870〜1966):仏教哲学者。今北洪川(いまきたこうせん)・釈宗演について禅を修行。仏教、特に禅の思想の研究・普及に努力。27歳のとき渡米。『大乗起信論』の英訳 ("The Discourse on the Awakening of Faith in the Mahayana"1900) などにより仏教特に禅思想を欧米に紹介。96歳の生涯を閉じるまで旺盛(おうせい)な研究活動を続け、英文の著書30余冊、和文の著書120余冊を残したことは有名。Daisetz T. Suzukiとして、国内よりもむしろ国外に広く知られる。

・西田幾多郎:既出(「フレーゲの「日記」」http://selfdevelopment578.blog.fc2.com/blog-entry-1076.html)

・岡村美穂子( 1935〜 ):アメリカ・ロサンゼルス生まれ。『ザ・イースタン・ブディスト』編集員、大谷大学講師などを歴任。15歳の時にニューヨークで鈴木大拙と出会い、亡くなるまでその活動を支える。著書に『大拙の風景 鈴木大拙とは誰か』『思い出の小箱から 鈴木大拙のこと』(共に燈影撰書)など。

・上田閑照( 1926〜2019 ):日本の宗教哲学者。京都学派を継承し、禅、東西神秘主義、エックハルト、ハイデッガー、京都学派思想などの研究を行った。父は高野山真言宗僧侶の上田天瑞。

・国旗・国歌法案:日の丸を国旗、君が代を国歌として法制化した法律。小渕内閣のもとで1999年8月13日に公布・施行。正式名称は「国旗及び国歌に関する法律」。

・小渕内閣:1998年7月30日〜2000年4月5日。自由民主党単独内閣として発足。1998年7月の参議院選挙での自民党大敗により橋本龍太郎総裁が辞任・内閣総辞職し、新しく総裁に選ばれた小渕恵三が首相となって組閣。1999年1月,自由党との連立による改造内閣が発足。1999年10月には公明党が連立に加わり第2次改造内閣が発足した。2000年4月小渕首相の緊急入院のため総辞職し、森喜朗内閣に交代。

・田中真紀子( 1944〜 ):日本の政治家。田中角栄の長女。田中直紀の妻。1993年衆議院議員に初当選(当選6回)。同年自民党に入党。1994年村山連立内閣の科学技術庁長官。2001年小泉連立内閣の外相。2002年秘書給与横領疑惑で議員辞職。2003年離党し、1ヵ月後の総選挙で返り咲きをはたした。2009年民主党に入党。2013年第3次野田改造内閣の文部科学相。同年の総選挙で落選。

・通信傍受法案:一定の組織的な犯罪を対象として、これら犯罪の実行に関連して行われる電話やメールなど、その伝送路に有線や交換設備を経由する電気通信の傍受を認めた法律。1999年公布の「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」(平成11年法律第137号)の略称。当初の対象犯罪は組織的な殺人、集団密航、薬物や銃器関連犯罪の4類型であったが、2016年の改正により対象犯罪が大幅に拡大され、また傍受の実施方法の合理化・効率化が図られた。盗聴法ともよばれる。

・上田秋成( 1734〜1809 ):江戸後期の国学者。浮世草子・読本の作者。初め高井几圭に師事し俳諧で活躍。のち賀茂真淵の高弟加藤美樹に入門。浮世草子作家として『諸道聴耳世間猿』『世間妾形気』、読本作家としては中国白話小説に材と方法を取り、『雨月物語』『ますらを物語』『春雨物語』を著す。また、直観的な観点により本居宣長と国学上の論争を行った。



・チェック内容
「平等主義は、意見の多様性を媒介としないかぎり、均質化と混同される。」



参考書籍
日本大百科全書 小学館
世界大百科事典 平凡社
デジタル大辞泉 小学館
ブリタニカ国際大百科事典 ブリタニカ・ジャパン
精選版 日本国語大辞典


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仏像学習 158 仏像永劫回帰19. 着物

仏像
02 /19 2022
仏像学習 158 仏像永劫回帰19. 着物

・如来:悟りを開いた釈迦がモデル
衲衣で肩から下半身まで覆う。
下半身は裙または裳をまとう。
着方
①通肩:両肩を覆う
②偏袒(へんだん)右肩:右肩を出す


・菩薩:悟りを開く前の釈迦がモデル
条帛(じょうはく)を肩から腰に斜めにかける。
天衣(てんね)を両肩から垂れ下げる。
下半身には裙(裳)を着ける。
華麗な装身具:宝冠、耳飾り、腕輪


・明王
上半身に条帛、下半身に短い裙を身につける。


・天部
さまざま。
四天王・十二神将:全身を甲冑で固め、手には武器を持つ。鎧は獣皮製のものをかたどることが多い。



参考文献
・『一個人特別編集 仏像入門 (BEST MOOK SERIES 72)』2010年
・『仏教美術入門』 佐和隆研 現代教養文庫



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Radiology2003

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