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私家版西洋哲学史  54.ジャック・デリダ

哲学
06 /30 2021
54. ジャック・デリダ

Jacques Derrida
生没年:1930〜2004

出生地:フランス  活動地:フランス


キーワード
・脱構築
・差延(différance)



哲学史的意義
・ポストモダンの代表的人物



活動内容
・階層的な二項対立を崩していく手法を「脱構築」と呼び、二項対立をメインとしたこれまでの哲学に対し、新たな哲学の可能性を目指した。

・脱構築の基本概念として「差延」という語を作り、自己は自己同一的な自己自身ではなく,すでに自己と隔たり遅延があるという意味を持たせた。



備考
・主な著作は『グラマトロジーについて』『エクリチュールと差異』『声と現象』など。

・脱構築の概念は哲学のみではなく、文学、建築、演劇など多方面に影響を与えた。




参考文献
①『ソフィーの世界』 ヨースタイン・ゴルデル著 池田香代子 訳 NHK出版 1995年
②『図説・標準 哲学史』 貫成人 著 新書館 2008年
③『年表で読む哲学・思想小辞典』 ドミニク・フォルシェー著 菊地伸二・杉村靖彦・松田克進訳 白水社 2014年
④『若い読者のための哲学史』 ナイジェル・ウォーバートン著 月沢李歌子訳 すばる舎 2018年
⑤『超訳 哲学者図鑑』 富増章成著 かんき出版 2016年
⑥『武器になる哲学』 山口周 著 KADOKAWA 2018年



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備忘録・雑記ランキン
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漱石・読んだふり 『野分』 ニ

漱石
06 /29 2021
漱石・読んだふり 『野分』 ニ


登場人物(登場順)
・高柳君

・中野君(中野輝一)

・西洋料理屋の下女

・西洋料理屋の客2人



ストーリー
・高柳君と中野君が公園で出会い、西洋料理屋で食事をしながら会話する
高柳君は中野君の境遇が羨ましいこと
高柳君は昨日電車で草稿をなくし、今日新橋の先まで探しに来たこと
高柳君の中学校時代の思い出(教師だった白井道也を理由も分からず扇動され学校から追い出したこと)
中野君が高柳君を品川の妙花園へ誘うが、高柳君は断る



歴史的人物・事項
・ホルマン・ハイト
「「妙花園なんざ、そんな参考にゃならないよ。それよりかうちへ帰ってホルマン・ハントの画えでも見る方がいい。ああ、僕も書きたい事があるんだがな。どうしても時がない」」




語句
・ロハ台:公園などにあるベンチ。茶店などの茶代や席料を必要とするものに対する語。

・御誂:注文して作らせること。また、作らせるもの。



繰り返す表現
・「彼らは同じ高等学校の、同じ寄宿舎の、同じ窓に机を並べて生活して、同じ文科に同じ教授の講義を聴いて、同じ年のこの夏に同じく学校を卒業したのである。」



高柳君に関する説明
・「高柳君は口数をきかぬ、人交をせぬ、厭世家の皮肉屋と云われた男である。」



中野君に関する説明
・「高柳君の眼に映ずる中野輝一なかのきいちは美しい、賢こい、よく人情を解して事理を弁わきまえた秀才である。」
・「中野君は鷹揚な、円満な、趣味に富んだ秀才である。」
・「中野君は富裕な名門に生れて、暖かい家庭に育ったほか、浮世の雨風は、炬燵あたって、椽側の硝子戸越ごしに眺めたばかりである。」



世の中への批判
・「今の世のなかは冷酷の競進会見たようなものだ」



参考図書
『漱石全集』第四巻 岩波書店 1978年
『漱石大全』Kindle版 第3版 古典教養文庫
『カラー版新国語便覧』 第一学習者 1990年
『漱石とその時代』1~3 江藤淳 著 新潮選書
『決定版 夏目漱石』 江藤淳 著 新潮文庫
『夏目漱石を読む』 吉本隆明 著 ちくま文庫
『特講 漱石の美術世界』 古田亮 著 岩波現代全書


日本大百科全書 小学館
世界大百科事典 平凡社
デジタル大辞泉 小学館
ブリタニカ国際大百科事典 ブリタニカ・ジャパン


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復習「アタック25」 2021.1.10

アタック25
06 /28 2021
2021.1.10 芸能人1時間スペシャル


Q1.2020年JRAのG1レースジャパンカップを制し、現役を引退した競走馬の名前

Q2.イタリア語で「ごちゃまぜ」を意味するスープ

Q3.5チームで総当たり戦を行った場合の試合数

Q4.金・銀・銅のうち、1気圧のもとにおける融点が最も低い金属

Q5.2020年WBC世界ボクシング評議会が新しく設けた階級

Q6.文久2年1月15日水戸の浪士らが老中安藤信正を襲撃した事件

Q7.五線譜の左端に記される音の高さを決める音部記号3つ

Q8.都道府県で面積が広い上位5つ

Q9映画「バックトゥーザフューチャー」1作目で1985年からタイムスリップした西暦

Q10.熊の川温泉がある都道府県

Q11.対局前に盤上にのせる将棋とチェスそれぞれの駒の数

Q12.父がドイツ人母が日本人で、環境省プラゴミゼロアンバサダーを務める芸能人

Q13.2021年1月現在JAXAの現役宇宙飛行士の人数

Q14.東京オリンピックアーティスティックスイミング日本代表のテクニカルルーティンがテーマにしている武術

Q15.新年に「かるたは始め式」が行われる神社




A1.アーモンドアイ

A2.ミネストローネ

A3.10

A4.銀

A5.フリッチャー級

A6.坂下門外の変

A7.ト音記号、ハ音記号、ヘ音記号

A8.1位北海道 2位岩手県 3位福島県 4位長野家 5位新潟県

A9.1955年

A10.佐賀県

A11.将棋40 チェス32

A12.トラウデン直美

A13.7人

A14.空手

A15.八坂神社



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『百人一首一夕話』私訳  柿本人麿③

百人一首
06 /27 2021
 或書物には次のような記述がある。「石見国美濃郡戸田郷小野という所に、綾部氏の人がいた。ある時庭の柿の樹の下に子供が立っていた。誰なのか尋ねると自分には両親がなく、ただ詩歌に長じ和歌の道を理解していると言った。夫婦は喜んでその子を大切に育てた。長じて和歌の才能をお示しになった。」この記述に解説の必要はないかもしれないが、石見国に綾部氏というものがあり、別名語合氏(かたらひうぢ)と言った。その家系はおよそ四十代連綿と続き、しかも長寿の人が多かったという。そこに人麿を祀る祠もあり、その場所を柿本と名づけた。人麿が出現した柿の木とも言われる。その柿の実は細長く尖り黒っぽい色をしており、筆先に墨が染みているのに似ている。世間の人はこれを筆柿と呼んだ。その実に種がなく、老樹になれば他の柿の木に接ぎ木をした。この柿の木は、この村と高角社(たかつののやしろ)の別当寺である真福寺の庭にあり他所にはない。これを取って他の木に接ぎ木すると、普通の柿の実とは違う実がつくとある人が言った。このことは古くから語り伝えられ、その家は今も続いているということである。さて人麿の子孫が数代にわたり続いたことは、人麿が石見に住んで居た時期仕事で上京された時の歌の序に、「妻と別れて石見国から上京した時に作った歌」とあることからうかがえる。このことは賀茂真淵の説によれば、人麿はもともと京都の官吏であるので石見国に本妻がいるはずはない。この妻とあるのは石見国の女性にお忍びで逢った際、その別れの歌であるだろう。その歌は
 さぬる夜はいくばくもあらず這ふ葛の別れし来れば(安らかに寝ることができる夜は何日もありません 葛が長く這ってのびるように長いあいだお別れしているので)
と詠んでおり、このことから人目を忍んで契った女であることがわかる、ということである。


参考書籍
『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫 1972年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年


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『サピエンス全史』を英語版で読むための単語帳 21(p136~p140)

単語帳
06 /26 2021
p136

・topography:地形、地勢

・mnemonist:記憶術の専門家

・onward:~以降

・garble:(話・事実などを)曲げる

・elm:楡

・remedy:治療、療法

・ally:同盟者、盟友

・adapt:(言行・風習などを)適合させる


p137

・arrears:(仕事・支払金の)滞り

・exemption:所得税の課税控除額

・tap:(土地・資源などを)開発する;利用する

・constrain:無理に~させる

・custom-built:注文製の


p138

Signed, Kushim

・Kushim: 現在確認されている中で最も古い時代に名前が記録された人物

・scribe:(木・金属に)罫書針で線を刻み付ける


p139

・protagonist:主役、主人公


p140

・unfazed:動じない、平然とした

・quipu:キープ(古代インカ帝国で用いられた結びなわ文字)



使用書籍
・Sapiens: A Brief History of Humankind Yuval Noah Harari Vintage(Penguin Random House UK) 2015

・新英和中辞典 第5版  研究社 1985


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対訳『古事記伝』 52

本居宣長
06 /25 2021
256. 【今神代の文字などいふ物あるは、後ノ世人の作為(イツハリ)にて、いふにたらず、】

訳:【現在、神代文字などというものがあるが、それは後世人の作り物で、言うまでもない。】


257.上ツ代の古事どもも何も、直(タダ)に人の口に言ヒ傳へ、耳に廳傳はり來ぬるを、やや後に、外國(トツクニ)より書籍(フミ)と云フ物渡參來(ワタリマヰキ)て、

訳:上代の古いことも何でも、直接人の口伝えにし、耳で聞いて伝わっていたのが、やや後に、外国から書籍というものが伝来して、


258.【西土(ニシグニ)の文字の、始メて渡參來つるは、記に應神天皇の御世に、百済の國より、和邇吉師てふ人につけて、論語と千文字とを貢(タテマツリ)しことある、此時よりなるべし、

訳:【西国の文字が初めて伝わったのは、『古事記』に応神天皇の御代に、百済から和邇吉師という人物が論語と千字文を携えて献上してきたとあるので、この時であると考えられる。


259.なほ懐風藻の序などにも、此おもむき見えたれば、奈良のころも、然言ヒ傳へたるなるべし、

訳:『懐風藻』の序などにも、同じ意味のことが書いてあるので、奈良時代も、そう言い伝えていたと思われる。


260.それよりさきにも、外國(トツクニ)人の參入(マヰリ)しは、書紀に崇神天皇の御世に始メて彌摩那ノ國人又垂仁天皇の御世に、新羅ノ國主ノ子天之日矛(アメノヒボコ)などあれども、書籍(フミ)はいまだ渡らざりけむ、

訳:それより先にも、外国人の来朝は、『日本書紀』には崇神天皇の御代に初めて任那の国人がやって来たとあり、垂仁天皇の御代にも新羅の王子天之日矛が来日したなどの記事もあるが、書籍というものはまだ伝わってはいなかったようである。



参考書籍
『本居宣長全集』第九巻 筑摩書房 1966年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『古事記注釈 第一巻』 西郷信綱 著 ちくま学芸文庫 2005年
『本居宣長『古事記伝』を読む』Ⅰ~Ⅳ 2010年
『新版古事記』 中村啓信 訳注 KADOKAWA 2014年 電子書籍版
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年
『日本書紀上・下』 井上光貞監訳 2020年 電子書籍版


参考サイト
雲の筏:http://kumoi1.web.fc2.com/CCP055.html


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文学作品最初と最後の一文  谷崎潤一郎 15

最初と最後の一文
06 /24 2021
71.『西湖の月』(1919年)
最初の一文:「それは或る年の秋の末つ方、東京某某新聞の特派員として長らく北京に逗まつて居た私が、或る用務を帯びて久振りに上海の方へ一箇月ほど出張を命ぜられたときの事であつた。」
最後の一文:「蘇の墓は今もなほ西冷橋の傍にあつて、墓を蔽うて居る墓才亭の四本の柱には、薄明の佳人を悼むさまざまな詩の文句が、次のやうに刻まれて居るのである。……。」

72.『富美子の足』(1919年)
最初の一文:「先生 先生に一面識もない青書生の僕が、突然かう云ふ手紙を差し上げる失禮を御免し下さい。」
最後の一文:「終りに臨んで、僕は心から、先生の筆硯益々御多祥ならんことを祈ります。 大正八年五月某日 野田宇之吉 谷崎先生 御座右」

73.『戯曲體小説 眞夏の夜の戀』(1919年)
最初の一文:「七月下旬の或る日の夕方、書生の松本文造と山内滋とが薬局の窓の所でこそこそと話し合つて居る。」
最後の一文:「二人は夢中で語り合ひながらいつしか仲店の雑踏の間に交つて行く。……
 此の小説は来月若しくは再来月號を以て完結すべし。 作者記」

74.『或る少年の怯れ』(1919年)
最初の一文:「少年の名は田島芳雄と云つた。」
最後の一文:「芳雄は、先の姉が嘗て通つて行つた煩らひのない安らかな道を自分も今通りつつあるのだと云ふ心地がして、今度こそほんたうに憧れて居た彼女の靈にもう直き其處で會へるのだと、固く固くそれを信じた。……」

75.『或る漂泊者の俤』(1919年)
最初の一文:「「それは去年の今頃――――十月二十五日の午後二時時分のことである。」
最後の一文:「と、彼は依然として先の」姿勢を寸分も崩さずに、パイプを口に咬へたまま黙然と脚下の濁つた水を視詰めて居たのである。……。」



参考書籍
『谷崎潤一郎全集』第6巻 中央公論社 1981年


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『夕陽妄語』を読むために 「中村眞一郎あれこれ」

加藤周一
06 /23 2021
「中村眞一郎あれこれ」  1998.1.21

・中村眞一郎(1918~1997):日本の小説家・文芸評論家。1942年福永武彦・加藤周一らと「マチネ・ポエティク」を結成、定型押韻(脚韻)詩を試みた。加藤・福永との共著『1946-文学的考察』 (1946) で本格的活躍を開始。プルーストや王朝文学の影響下に全体小説の実現を意図した長編小説の第1作《死の影の下に》(1946年―1947年)で,戦後派作家として位置づけられた。

・河野與一:既出(「悲報来」http://selfdevelopment578.blog.fc2.com/blog-entry-846.html)

・マルセル・デュシャン:既出(「「美」について」http://selfdevelopment578.blog.fc2.com/blog-entry-1102.html)

・ブルトン(André Breton 1896〜1966):フランスの詩人・小説家・批評家。医学を学び、第1次世界大戦に従軍中フロイトの学説に傾倒。1919年アラゴン、スーポーとともにダダの機関誌『文学』 Littératureを創刊。のち、シュールレアリスム運動の指導者となった。主著『シュールレアリスム宣言』『ナジャ』。

・ジャクソン・ポロック:既出(「アンディ・ウォーホル回顧展」http://selfdevelopment578.blog.fc2.com/blog-entry-444.html)

・ラウシェンバーグ:既出(「アンディ・ウォーホル回顧展」http://selfdevelopment578.blog.fc2.com/blog-entry-444.html)

・プルースト(Marcel Proust 1871~1922):フランスの小説家。早くから上流社交界に出入りする一方,文学に熱中し,優雅な小品を雑誌に発表,ラスキンの芸術哲学に傾倒した。1905年最愛の母の死が転機となって構想された代表作『失われた時を求めて』は人間の内面の「意識の流れ」を綿密に追うことにより従来の小説概念を大きく変革し、20世紀フランス文学最高の傑作といわれている。

・頼山陽(1780〜1832):江戸後期の漢詩人・史家。幼時より神経症に悩まされる。1809年父の友人菅茶山の廉塾の塾頭になったが満足せず、1811年京都に出て塾を開く。日本の武家の歴史を記した『日本外史』は、1826年に成り、死後出版され幕末の志士たちに読まれた。

・蠣崎波響(1764〜1826):江戸中・後期の画家。松前藩12代松前資広の5男。蠣崎家の嗣子となる。10歳ごろ江戸に出て建部凌岱、のち宋紫石について南蘋派の画を学ぶ。1791年丸山応挙に師事。代表作「夷酋列像」。

・木村蒹葭堂(1736〜1802):江戸中期の博物学者・南画家。通称坪井屋吉右衛門。代々酒造業を営み、庭の井戸から出た古芦の根にちなんで、書斎を蒹葭堂と名づけた。幼時より植物に親しみ、本草学者小野蘭山に入門。奇書珍籍、書画骨董、標本類の収集に努めた。絵は黄檗僧鶴亭や池大雅らに学ぶ。遠近よりの来訪者名簿『蒹葭堂日記』は当時の南画家や学者たちとの広い交遊関係を記録して、資料的にも注目される。



参考書籍
日本大百科全書 小学館
世界大百科事典 平凡社
デジタル大辞泉 小学館
ブリタニカ国際大百科事典 ブリタニカ・ジャパン
精選版 日本国語大辞典


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仏像学習 141 仏像永劫回帰1. 仏像の誕生

仏像
06 /22 2021
仏像学習 141 仏像永劫回帰1. 仏像の誕生

仏教芸術の誕生

荼毘に付された釈迦牟尼の遺骨を多くの弟子・信者が故郷に持ち帰り埋葬した墳墓(卒塔婆)から発生。

卒塔婆の柱・貫・笠石などに施された装飾の彫刻が始まり。

装飾的彫刻は釈尊の行状・伝説、仏教守護諸神、蓮華や唐草などの装飾文様で構成されたが、初期には釈迦牟尼の姿を表示することはなく、偶像崇拝の要素はなかった。

アレクサンダー大王の侵攻によるガンダーラ彫刻の発生に伴い、釈迦牟尼の姿が表現されるようになった。

大乗仏教の普及により、仏像が偶像崇拝の対象となる。




参考文献
・『仏像 心とかたち[完全版]』望月信成 佐和隆研 梅原猛 著 NHKBOOKS 2018年
・『写真・図解 日本の仏像 この一冊ですべてがわかる!』 薬師寺君子 著 西東社 2016年


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金子みすゞ私的鑑賞  90.お祖母様の病氣

金子みすゞ
06 /21 2021
90. お祖母様(ばあさま)の病氣    

お祖母さまが御病氣で、
庭には草がのびました。

花咲くころは朝ごとに、
佛さまに、と剪(き)つてゐた、
薔薇の葉つぱは穴だらけ、
松葉ぼたんも枯れました。

となりから來る鶏も、
なにか小くびをかしげます。

晝もひろうて、しんとして、
秋の風が吹いてゐて、
空家みたいになりました。


『金子みすゞ全集』Ⅲさみしい王女 p200


4連11行
11、12。 12、12、12、12。 12、12。 12、11、12。


主なき家が荒れて寂寞感を与える様は、古今東西の文学作品で描写されています。

主がいたころは手入れされていた庭の植物が枯れ、雑草が生い茂る様、人の声が聞こえない、静かな様などが、この詩でも表現されています。

しかし、「となりから來る鶏」が「小くびをかしげ」る様で、そういった風情を表現しているところは、みすゞさんの面目躍如たるところがあると思います。


「空家みたいになりました」から、お祖母さまは自宅療養中と思われます。





名詞:    お祖母さま、 御病氣、 庭、 草、 花、 ころ、 朝、 佛さま、 薔薇、 葉つぱ、 穴、 松葉ぼたん、 となり、 鶏、 小くび、 晝、 秋、 風、 空家

形容詞:  ひろい

動詞: のびる、咲く、 剪る、枯れる、 來る、 かしげる、 する、 吹く、 なる



通算登場回数  
今回登場     (お)花:9作目   お祖母さま:2作目
 
今回登場なし   (お)空(夕ぞら、青空):23作目     海(外海内海):21作目    母さん(お母さま、母さま、かあさん、かあさま):15作目     青(青い):14作目    赤(赤い):14作目   白(白い、しろい、眞白な):13作目    (お)舟・小舟・船:11作目 雲:8作目   波:6作目     お月さん(お月さま):6作目     (お)星(さま):6作目    (お)魚(さかな):5作目(タイトルのみ1作)    黒い:5作目   みどり(こみどり):4作目    雪:4作目   (お)父さま(父さん):3作目    石ころ(石):2作目 紅い:2作目 藍いろ:1作目   金:1作目    さくら:1作目



参考書籍
『新装版 金子みすゞ全集Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』 JULA出版局 1984年
『童謡詩人金子みすゞの生涯』 矢崎節夫 著 JULA出版局 1993年
『別冊太陽 生誕100年記念 金子みすゞ』 平凡社 2003年
『没後80年 金子みすゞ ~みんなちがって、みんないい。』 矢崎節夫 監修  JULA出版局 2010年
『金子みすゞ 魂の詩人』 増補新版 KAWADE夢ムック 文藝別冊 河出書房新社 2011年
『永遠の詩1 金子みすゞ』 矢崎説夫 選・鑑賞 小学館eBooks 2012年
『金子みすゞ作品鑑賞事典』 詩と詩論研究会編 勉誠出版 2014年



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Radiology2003

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