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仏像学習 56.国宝仏像各論23 四天王立像(唐招提寺金堂)

仏像
12 /31 2018
仏像学習 56.国宝仏像各論23 四天王立像(唐招提寺金堂)

所在:唐招提寺 金堂

指定:1953年

制作年:8世紀後半

制作法:木造乾漆併用、彩色、漆箔

像高:持国天 185.0cm     増長天 187.2cm 
    広目天 186.3cm     多聞天 188.5cm  

像容
・いずれも甲(鎧)を着け、甲の下に大袖と鰭袖の衣をまとう。

・スカート状の裳を着用している。

・現在欠失した部分が多いが、両肩から天衣をかけていた。

・州浜形の岩座上に立つ。

・両肩から肘へとかかる天衣や頭髪は乾漆で整形し、表面仕上げには彩色を施す。

・顔面を持国天は緑青、増長天は肉色、広目天は白緑、多聞天は群青で彩っていたと考えられている。

備考
・金堂の須弥壇四隅に安置される。

・両肩から先の両腕部を別材で矧ぎ付けている。

・首を短くし、胸板を厚くしたがっしりとした体つきは、奈良時代前半の均整の取れた様式とは異なる。

・袂先をくくった大袖の衣の着用や、裳裾を両脚間に垂らしている点は、従来の四天王像には見られない新形式。


唐招提寺ホームページ
http://www.toshodaiji.jp/about_kondoh.html


参考書籍
週刊朝日百科 日本の国宝006 1997年


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金子みすゞ私的鑑賞 5 明るい家

金子みすゞ
12 /30 2018
明るい家

さくら草咲く丘のうへ、
それは、明るいお家です。

朝から晩までお部屋には、
はいりきれない、日のひかり。

ピンクの壁にかかったは、
虹と天使の繪がひとつ。

おもちや屋ほどの、おもちや棚、
おもちやの數も知つてます。

いつごろからか、どうしてか、
私はみんな知つてます。

それは私の家だから、
それは私の家だから。


『金子みすゞ全集』Ⅱ空のかあさま p70


6連12行(2行、2行、2行、2行、2行、2行)  
12、12。  13、12。  12、12。  12、12。  12、12。  12、12。


みすゞさんの実際の家の状景を描いたのか、それともみすゞさんが理想とした家の状景を描いたのかはわかりません。

みすゞさんの育った家の所在地、間取りなどはわかっています(『童謡詩人金子みすゞの生涯』p58~)。

現在「みすゞ通り」と呼ばれているその付近の写真(『別冊太陽 生誕100年記念 金子みすゞ』p37)をみる限り、丘の上ではありません。

20歳のときに下関に移り住み、市内を4回ほど転居しているので、もしかしたらその中には丘の上の場所があったのかもしれません。

みすゞさんが通っていた大津高等女学校の同窓会誌『ミサヲ』に載ったみすゞさんの≪我が家の庭≫という題の文章の中には、「私の家のにはは、極めてせまいものである。けれども此のせまい所にも、日光は同じやうにさしこんで、四季をりをりの花をさかせている。」という文があるので、部屋にも「はいりきれない、日のひかり」が差し込んでいたかもしれません。

「虹と天使の繪」は別として「ピンクの壁」はさすがにみすゞさんの実際の部屋にはなかったのではないでしょうか。

みすゞさんの詩には遊びの名前や遊び道具も時々出てきます。「勘定」の好きなみすゞさんがおもちやの數を把握していたことは容易に理解できます。

この詩にはお馴染みの色(青、白、赤)は出ていませんが、「ピンク」と「さくら草」の色は登場しています。


名詞:さくら草、 丘、 うへ、 お家、 朝、 晩、 お部屋、 日、 ひかり、 ピンク、 壁、 虹、 天使、 繪、 ひとつ、 おもちや屋、 おもちや棚、 數、 いつごろ、 私、 私の家(2回)

形容詞:明るい

動詞:咲く、 はいる、 かかる、 知る(2回)


通算登場回数  
今回登場なし   青(青い):4作目  白(白い):4作目  赤(赤い):3作目  空:3作目  海:2作目  雲:2作目  波:1作目  (お)舟・船:1作目  花:1作目  父さま:1作目    


参考書籍
『新装版 金子みすゞ全集Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』 JULA出版局 1984年
『童謡詩人金子みすゞの生涯』 矢崎節夫 著 JULA出版局 1993年
『別冊太陽 生誕100年記念 金子みすゞ』 平凡社 2003年
『没後80年 金子みすゞ ~みんなちがって、みんないい。』 矢崎節夫 監修  JULA出版局 2010年
『金子みすゞ 魂の詩人』 増補新版 KAWADE夢ムック 文藝別冊 河出書房新社 2011年
『永遠の詩1 金子みすゞ』 矢崎説夫 選・鑑賞 小学館eBooks 2012年
『金子みすゞ作品鑑賞事典』 詩と詩論研究会編 勉誠出版 2014年


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著者自身による書中評 および 私のこの一文

書評
12 /29 2018
『仕事が速い人はどんなメールを書いているのか』
平野友朗 著 文響社 2017年電子書籍版


・「私自身もいかに速くメールを処理するかを意識しながら仕事をしています。どうすれば1秒でも速く処理できるか。やりとりを1回でも減らすにはどうしたらいいか。そんなことを常に考えています。その結果、今では1通あたりの処理時間を1~3分に縮められるようになりました。こうした技術はまったく難しいものではありません。ちょっとしたコツを知るだけで誰でもできるようになるのです。そのコツとは、私自身の経験と、1万通を超えるメールの添削から導き出されたものです。実践すれば、メールにかけている時間を一気に削減することができますので、ぜひ、試してみてください。」2.5%

・「本書では、メールに関して多くのテクニックをお伝えしてきました。このテクニックを使えば、1日30分は確実に時間を短縮できます。1年間に250日働くとすると、125時間(訳15営業日)の削減が可能になるわけです。さて、問題はこの時間をどう使うのか?・・・いずれにせよ、取り戻した時間を有意義に使ってください。」98.4%



・・・私のこの一文・・・
「本文の書きぶりを含め、メールをどう処理するかを見れば、その人のビジネスセンスが如実にわかってしまいます(余談ですが、新入社員の選考にあたっては、メールを何通か書かせてみるほうが、学力テストや小論文よりよほど仕事の適性がわかる・・・・・・というのが私の考えです)。」12.0%


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各国個人的調査 アンドラ公国

国情報
12 /28 2018
アンドラ公国(安道爾)


0.国名・国旗
国名
「アンドラ」の由来については諸説あり定かではない。同地に居住していたイベリア人の部族を古代ギリシア語でアンドシンス(Andosins)と呼称しており、これはバスク語で「巨大な」を意味する「handia」に由来するというのが一つの説。

国旗
比率 7:10  1996年制定
フランスの縦3分割(32:36:32)に倣い、配色はスペイン国旗の赤と黄色を使っている。

青:フランス
赤:スペイン
黄:ローマ・カトリック
を表す。

中央の紋章には、ウルヘル司教の象徴として左上に司教冠と錫杖、右上はフォワ伯、左下はカタルーニャ地方、右下はベアルン地方の象徴を描く。

下部にはラテン語で"Virtvs Vnita Fortior"(団結は力なり)と記されている。

1.面積
468㎢

2.人口・人口密度
73,105人(2016年 アンドラ政府推定値)

156人/㎢

3.首都
アンドラ・ラ・ベリャ

4.言語
カタルニア語(公用語)、スペイン語、ポルトガル語、フランス語

5.宗教
大多数がカトリック

6.略史
古代ギリシアの歴史家ポリュビオスの『歴史』において、ポエニ戦争でカルタゴ軍がピレネー山脈を越える際、アンドラの谷に先住民が居住しており、彼らを「アンドシンス」と呼んだ事が記されている。
10世紀頃:宗主のウルヘル司教と、司教から封土としてアンドラを与えられていたフォア伯爵との間で統治権をめぐる争いが発生。
1278年:契約によって、両者はアンドラの共同領主となる。
1589年:フォア伯爵側の統治権がフランスに継承される。
1993年:新憲法がアンドラ国会で可決、同年3月に住民投票で承認され、アンドラは国家として独立。ただし、アンドラの国家元首は引続きフランス大統領とウルヘル司教(共同元首)。

7.通貨
ユーロ

8.政治
元首はフランス大統領及びウルヘル司教(在スペイン)

議会は一院制。任期4年。

9.経済
主要産業 :観光業,サービス業,流通産業,金融業
主要な経済パートナーはEUで、財政収入の大部分を輸入関税に頼っている。

10.世界遺産(1件)
文化遺産(1件)
・マドリウ=ペラフィタ=クラロ渓谷(2004年 範囲変更2006年)
13世紀に開発された鉄の精錬所や定住集落の段々畑、牧草地、石造りの道など、700年以上自然環境に沿うように暮らしてきた人々の文化的景観
http://whc.unesco.org/ja/list/1160#top

11.その他
・2011年までタックス・ヘイヴンの国だった。

・EUには加盟していないが、通貨はユーロ。

・フランスの郵便局とスペインの郵便局の2種類の郵便ポストがある。


参考サイト
外務省:https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/andorra/index.html


参考書籍
『国旗・国歌の世界地図』21世紀研究会編 文春新書 2008年
『今がわかる時代がわかる 世界地図 2016年版』 成美堂出版
『世界遺産大事典』上・下 マイナビ出版 2016年
『なるほど知図帳世界 2017』 昭文社
日本大百科全書 小学館
世界大百科事典 平凡社


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Toward 「Qさま!!」 セルフトレーニング77 復習(2012.12.17)

Toward 「Qさま‼︎」
12 /27 2018
2012.12.17  5世代対抗 知っておきたい日本のことSP
日本を一番愛している世代No.1決定戦

Q1:漢字の読み
①辱い ②憾む ③塗す ④飄 ⑤魃 ⑥釵 ⑦褞袍 ⑧裲襠    

Q2:30代で偉業を達成した人物
①英国デビューした国際的プリマドンナ
②明治民法を起草
③ビタミンB1抽出に成功

Q3:40代で亡くなった・消息を絶った人物
①「芸術座」を結成
②英文学者 訳詩集「海潮音」
③「慶安の変」を起こし自害

Q4:50代で偉業を達成した人物
①英との不平等条約改正に成功
②『路傍の石』連載開始
③呉服店「越後屋」を開業
④日本初の解剖書『蔵志』刊行

Q5:長生きした歴史上の人物
①98歳 世界初の真珠の養殖に成功
②100歳 朝鮮に出兵した伝説がある
③108歳 徳川に仕えた「黒衣の宰相」

Q6:物の数え方
①そら豆
②卓袱台
③電報
④数珠
⑤紙吹雪

Q7:□に共通して入る漢字
①心□・□盤
②炭□・□扇
③枕□・□耳
④雲□・□蜂





A1
①かたじけな・い ②うら・む ③まぶ・す ④つむじかぜ ⑤ひでり ⑥かんざし ⑦どてら ⑧うちかけ 


A2
①三浦環
②梅謙次郎
③鈴木梅太郎


A3
①島村抱月
②上田敏
③由井正雪


A4
①青木周蔵
②山本有三
③三井高利
④山脇東洋


A5
①御木本幸吉
②神功皇后
③南光坊天海


A6
①莢
②卓
③通
④連
⑤片


A7
①算
②団
③木
④雀



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下の句50音順にたどる百人一首 No.34 ころもか

百人一首
12 /26 2018
No.34(No.91)
下の句
ころもか・たしきひとりかもねむ
(衣片敷き ひとりかも寝む)

上の句
きり・ぎりすなくやしもよのさむしろに
(きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに)

意味
こおろぎが鳴いている霜の夜の寒い粗末なむしろで、私は自分の衣だけを敷いて一人寂しく寝るのでしょうか。

出典
『新古今集』巻5秋下・518
「百首歌奉りし時」

作者
後京極摂政前太政大臣(藤原良経)
1169~1206。平安末期・鎌倉初期の公卿・歌人。
九条家を興した兼実の次男。法性寺入道忠通の孫。
和歌を俊成・定家に学ぶ。御子左家のパトロン。
後鳥羽院の信任が厚かった。
『新古今集』の撰者の一人。


備考
・『古今集』恋4の「さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫」と『拾遺集』恋3の「足引きの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む」を本歌とする。また、『万葉集』巻9には「吾が恋ふる妹は逢はさず玉の浦に衣かたしきひとりかも寝む」がある。

・「きりぎりす」はこおろぎの古名。

・「さむしろ」は藁などで編んだ粗末な敷物。「寒し」をかけている。「さ」は接頭語。

・「衣片敷く」はひとり寝をすること。


参考書籍
『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫
『ビジュアル版 日本の古典に親しむ② 百人一首』 大岡信著 世界文化社
『別冊太陽 百人一首への招待』 吉海直人監修 平凡社
『解説 百人一首』 橋本武著 ちくま学芸文庫


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『夕陽妄語』を読むために 「「古都保存協力法案」」

加藤周一
12 /25 2018
「「古都保存協力法案」」 1990.12.13


・ランスの天使:フランス、ランスにあるノートルダム聖堂のファサードにある彫刻の一つで「微笑みの天使」と呼ばれるもの。

・アヴィニョンのピエタ:アンゲラン・カルトンが描いたピエタ。ルーブル美術館蔵。

・アルノー川:イタリア中部、トスカナ州の川。フィレンツェ、ピサを経て、リグリア海に注ぐ。

・東寺:京都市にある東寺真言宗の総本山。正称は教王護国寺。本尊薬師如来。796年桓武天皇の創建になる。羅城門の東に位置したので東寺、左寺、左大寺などと呼ばれた。823年嵯峨天皇が空海に下賜し、以後真言密教(東密)の根本道場となる。

・風神雷神図:桃山・江戸時代初期の絵師、俵屋宗達の二曲一双の屏風画。国宝。向かって左に雷神、右に風神を描いた、。尾形光琳、酒井抱一ら、琳派の絵師による模写が多数ある。建仁寺所蔵。

・南禅寺:京都市にある臨済宗南禅寺派の本山。亀山上皇が離宮 (禅林寺殿) を寺とし、無関普門 (大明国師) を開山とした。鎌倉・室町時代には官寺として五山の首位の寺格をもった。2度の火災で伽藍の大部分を焼失。現在の伽藍は1605年に崇伝が再興したもの。庭園は小堀遠州の作と伝えられ、俗に「虎の子渡し」の名がある。

・祇王寺:京都市右京区嵯峨にある真言宗大覚寺派の尼寺。本尊大日如来。往生院の旧跡と伝え、『平家物語』の白拍子、祇王(妓王)と祇女(妓女)の姉妹、その母仏御前の木像をまつる。

・相国寺:京都市にある臨済宗相国寺派の大本山。正式寺名は相国承天禅寺。山号は万年山。開基は足利義満、開山は春屋妙葩だが、師の夢窓疎石が第1世。京都五山の第二位。戦国時代以来たびたび火災にあい、現存の本堂は1605豊臣秀頼が再建したもの。

・空海:平安時代の僧。弘法大師。真言宗の開祖。804年入唐。長安で青竜寺恵果について密教を学び、3年後帰国。高野山、東寺を密教の根本道場とし、各地を巡歴。東大寺別当を兼ね綜芸種智院を創設、密教を宗派として確立した。

・密教:秘密教の略称。本来はタントラ教と関係の深い真言乗、金剛乗の教説で、7世紀頃からインドのベンガル地方で盛んになった仏教をいう。今日では一般に、中国で発展した天台宗や真言宗の、法身大日如来の身・口・意の3密を説く教理を密教という。根本の仏陀を大日如来(大毘盧遮那仏) と呼び、密教は大日如来の所説であると主張する。従来の仏教では説かなかった多数の明王、仏教外の諸神、諸聖者もまた大日如来の現れであると解し、多くの民間信仰を摂取し、その趣意を直観的に表示するために大曼荼羅を構成する。加持・祈祷を重んじる。

・吉井勇(1886~1960):明治-昭和時代の歌人、劇作家、小説家。新詩社にはいり、「明星」に短歌を発表。明治41年パンの会を結成。翌年「スバル」の創刊に参加。耽美派の中心として活躍した。

・ストックホルム:スウェーデンの首都。バルト海に面し、市街地は多くの小島や半島の上にできている。古来、メーラレン湖の女王、水に浮かぶ都、北方のベネチアと称賛された。ノーベル賞授賞式の行われるコンサートホールがある。

・パレルモ:イタリア南部、シチリア島北西岸の港湾都市。前8世紀フェニキア人により創建された。地中海文明の十字路にあるため、異民族による占領が相次いだ。カルタゴ、ローマ、ビザンティンの支配下に港として繁栄。831年イスラム教徒の支配下に入り、1072年ノルマンに占領された。のちにシチリア王国の首都となり、イスラム文化と共存する地中海文明の中心地となった。

・マドリード:スペインの首都。イベリア半島のほぼ中央、標高 655mの高原に位置し、タホ川の支流マンサナレス川に臨む。ムーア人の要塞の地であったが、1083年レオン=カスティリア王アルフォンソ6世がムーア人から奪取。 1561年フェリペ2世の宮廷が置かれ、1607年フェリペ3世によりスペインの正式の首都に定められた。

・ブダペスト:既出(「東欧紀行」http://selfdevelopment578.blog.fc2.com/blog-entry-377.html)。

・ミュンヘン:ドイツ南東部、バイエルン州の州都。ベルリン、ハンブルクに次ぐドイツ第3の都市。ドナウ支流、イーザル川に臨み、南ドイツの政治・経済・文化の一大中心地。1920年代にはアドルフ・ヒトラーの率いるナチスの活動の舞台となり、第2次世界大戦でかなりの被害を受けた。

・ワルシャワ:既出(「東欧紀行」http://selfdevelopment578.blog.fc2.com/blog-entry-377.html)。

・フィレンツェ:イタリア中部の古都。トスカーナ州の州都。ローマ時代に建設され、中世には強力な共和政都市国家を形成。メディチ家の支配のもとでイタリアルネサンスの中心地となった。英語でフローレンス Florence。周辺は昔から花卉の名産地で、町の名称もそれに由来する。1982年世界遺産の文化遺産に登録された。またフィレンツェと近郊のメディチ家のビラと庭園が 2013年世界遺産の文化遺産に登録された。



参考書籍
日本大百科全書 小学館
世界大百科事典 平凡社
デジタル大辞泉 小学館
ブリタニカ国際大百科事典 ブリタニカ・ジャパン

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仏像学習 55.国宝仏像各論22 梵天・帝釈天立像(唐招提寺金堂)

仏像
12 /24 2018
仏像学習 55.国宝仏像各論22 梵天・帝釈天立像(唐招提寺金堂)

所在:唐招提寺 金堂

指定:1953年

制作年:8世紀後半

制作法:木造乾漆併用 彩色

像高:梵天 186.2cm     帝釈天 188.8cm   

像容
・両像とも甲(鎧)を着け、大袖と鰭袖の衣をまとう。

・裾の翻った長い裳を着用し、沓を履いている。

・頭上に髻を結い、両肩から天衣をかけている。

・梵天像は袈裟を着ける。

・表面は乾漆を盛り上げて整形した部分が多い。

備考
・本尊盧舎那仏坐像の両前脇に安置される。

・本尊に向かって右が梵天、左が帝釈天。

・顎下や帝釈天の前垂れなどで、木彫の彫刻の失敗を補修するために乾漆が使用されている。

・台座の反花上面には墨書きによる戯画が残る。制作途中の工人が描いた落書きと考えられている。


唐招提寺ホームページ
http://www.toshodaiji.jp/about_kondoh.html


参考書籍
週刊朝日百科 日本の国宝006 1997年


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漱石・読んだふり 「吾輩は猫である」 各論② 二

漱石
12 /23 2018
漱石・読んだふり 「吾輩は猫である」 各論② 二


時期
明治38年正月


登場人物(登場順)
・吾輩

・主人:苦沙味先生

・下女

・寒月:主人の旧門下生

・御三(おさん 苦沙味先生の家の下女)

・二人の小供

・細君(苦沙味先生の)

・三毛子(新道の二弦琴の御師匠さんに飼われている)

・新道の二弦琴の御師匠さん

・車屋の黒

・黒のうちの神さん

・越智東風(寒月の友人)

・迷亭

・西洋料理屋のボイ

・新道の二弦琴の御師匠さんの下女

・某博士の夫人

・甘木先生(医者)


ストーリー
・主人に届いた年始状。(吾輩を主題としている)

・寒月が主人を訪れる。(寒月の近況報告)

・寒月訪問の翌日の朝食情景。

・主人の日記。(前日寒月との外出の内容、胃弱にいいと聞いた諸方法を試した内容

・バルザックの文章の贅沢の逸話。(『Z.マルカス』)

・吾輩が雑煮の餅を食って踊りを踊った話。

・三毛子を訪問する。

・車屋の黒と会う。

・越智東風が主人を訪れる。(迷亭と西洋料理店に行った話 トチメンボー、朗読会の話)

・迷亭の年始状の内容。

・4〜5日後、三毛子を訪問するも病気で寝ていることを知る。

・迷亭、遅れて寒月が主人を訪れる。(主人の翻訳、3人の不思議な話(首懸けの松、吾妻橋、摂津大掾)

・三毛子が死んだことを知る。



言及される歴史上の人物・事項
・桃川如燕
・グレー
「まず桃川如燕以後の猫か、グレーの金魚を偸んだ猫位の資格は充分あると思う」(p31岩波文庫 以下同様)

・エピクテタス
「主人はエピクテタスとかいう人の本を披いて見ておった。」(p33)

・安井息軒
「安井息軒も大変この按摩術を愛していた。」(p35)

・坂本龍馬
「坂本龍馬のような豪傑でも時々は治療をうけたというから、早速上根岸まで出掛けて揉まして見た。」(p35)

・カーライル
「「君の説は面白いが、あのカーライルは胃弱だったぜ」とあたかもカーライルが胃弱だから自分の胃弱も名誉であるといったような、見当違いの挨拶をした。」(p36)

・バルザック
「主人の話によると仏蘭西にバルザックという小説家があったそうだ。」(p37)

・天璋院
「何でも天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘なんだって」(p44)

・白楽天の『琵琶行』
「古人の作というと白楽天の『琵琶行』のようなものででもあるんですか。」(p51)

・蕪村の『春風馬堤曲』
「蕪村の『春風馬堤曲』の種類ですか」(p51)

・近松
「先達ては近松の心中物をやりました」(p52)

・レスター伯
・エリザベス女皇
・ケニルウォース
「レスター伯がエリザベス女皇をケニルウォースに招待致し候節も慥か孔雀を使用致し候よう記憶致候。」(p57)

・レンブラント
「有名なるレンブラントが画き候饗宴の図にも孔雀が尾を広げたるまま卓上に横たわりおり候・・・」(p57)

・ギボン
・モンセン
・スミス
  「よってこの間中よりギボン。モンセン。スミス等諸家の著述を渉猟致しおり候えどもいまだに発見の端緒をも見出し得ざるは残念の至に存候。」(p59)

・山陽
  「昔しある人が山陽に、先生近頃名文は御座らぬかといったら、山陽が馬子の書いた借金の催促状を示して近来の名文は先ずこれでしょうといったという話があるから、君の審美眼も存外慥かかも知れん。」(p63)

・大燈国師
  「主人は禅坊主が大燈国師の遺誡を読むような声を出して読み始める。」(p63)

・『金色夜叉』
  「それから僕が今度も近松の世話物をやるつもりかいと聞くと、いえこの次はずっと新しい者を撰んで『金色夜叉』にしましたというから、君にゃ何の役が当ってるかと聞いたら私は御宮ですといったのさ。」(p66)

・バリー・ペーン
  「昼飯を食ってストーブの前でバリー・ペーンの滑稽物を読んでいるところへ静岡の母から手紙が来たから見ると、年寄だけにいつまでも僕を小供のように思ってね。」(p67)

・ゼームス
  「ゼームスなどにいわせると副意識下の幽冥界と僕が存在している現実界が一種の因果法によって互いに感応したんだろう。」(p70)

・摂津大掾
  「細君が御歳暮の代わりに摂津大掾を聞かしてくれろというから、連れて行ってやらん事もないが今日の語り物な何だと聞いたら、細君が新聞を参考して鰻谷だというのさ。」(p74)

・左甚五郎
・スタンラン
  「今に左甚五郎が出て来て、吾輩の肖像を楼門の柱に刻み、日本のスタンランが好んで吾輩の似顔をカンヴァスの上に描くようになったら、彼ら鈍瞎漢は始めて自己の不明を恥ずるであろう。」(p83)



語句・表現
・『三世相』:過去、現在、未来 (三世) の因果吉凶を仏教、陰陽五行の説などと各人の生年月日、人相などから解明できるとした考え。唐の袁天綱の創始にかかるといわれる。日本では江戸時代、この考えを日常生活に必要な十干十二支、上弦下弦の月、日食月食、夢判じなど 208項目について百科全書的に絵入りで解説した『三世相』という本が流行した。

・べんべら者:薄っぺらの、また安っぽい絹の衣服。

・喜多床:1871年開業の、連ねる日本で一番古い理髪店。夏目漱石も得意客の一人だった。現在の東京大学の正門前に開業。現在は渋谷で営業。

・行屎走尿:便所で用を足す意。転じて、ありふれた日常生活のたとえ。

・尽未来際:仏教用語。未来の果てに至るまで。未来永劫。誓いを立てるときなどに、「永久に」の意で副詞的に用いる。

・驀地:急に起こるさま。まっしぐらに進むさま。

・天祐:思いがけない幸運、天の助けのこと。天佑神助ともいう。

・狂瀾を既倒に何とかする:「狂瀾を既倒に廻らす」のこと。韓愈の「進学解」の「障二百川一而東レ之、廻二狂瀾於既倒一」による。崩れかけた大波をもと来た方へ押し返す。形勢がすっかり悪くなったのを、再びもとに返すたとえ。

・欣羨:非常にうらやましがること。

・建仁寺(垣):竹垣の一つ。四つ割竹を垂直に皮を外側にしてすきまなく並べ、竹の押し縁を水平に取り付け、しゅろ縄で結んだもの。建仁寺で初めて用いた形式といわれる。

・吹い子の向こう面:他人を罵る言葉。由来は不明。

・天明調:安永・天明期に、蕉風への復帰を唱えて起こった俳風。与謝蕪村・加藤暁台・三浦樗良・高桑闌更・加舎白雄・高井几董などが主たる俳人。

・万葉調:万葉集の歌の特色をなす調べ。一般には表現,内容と関連づけて論じられることが多い。おおむね素朴、雄大、重厚、明朗、直截などの語をもって説明される。五七調を主とし、短歌では二句切れ・四句切れが多い。万葉調歌人として鎌倉時代の源実朝、江戸時代の賀茂真淵、村田春海、良寛らがあり、明治になってからは正岡子規が万葉調の復活を唱え、伊藤左千夫、島木赤彦、斎藤茂吉ら『アララギ』派の歌人が万葉調の歌をつくり、歌壇の一大勢力となった。

・日本派:正岡子規を中心とする純客観的写生主義を唱道した俳句の一流派。新聞「日本」の俳句欄を発表機関としたため、こう呼ばれる。河東碧梧桐・高浜虚子・内藤鳴雪・夏目漱石らが主な俳人。子規没後は碧梧桐が選者となったため、「ホトトギス」による虚子一派に対して、碧梧桐を中心とする一派を呼ぶ。

・橡面坊(安藤橡面坊 1869〜1914):明治時代の俳人。俳句ははじめ高浜虚子選の『国民新聞』に投句、のち正岡子規選の『日本』紙に投句。日本派風の温厚な写生句を作った 。子規が没してのちは河東碧梧桐選の『日本』に投句する。

・拝趨:出向くことをへりくだっていう語。急ぎおうかがいすること。参上。

・葉蘭:ユリ科の常緑多年草で、巨大な葉を地表に立てる植物。日本の暖地に観賞用および薬用として古くから栽培されている。長い地下茎をはわせ、長楕円形で長柄をもつ大きな葉を多数つける。

・中間:江戸時代、武士に仕えて雑務に従った者。

・雲井:きざみタバコの一銘柄。専売制度以前にあったもので禁裏御用となったところからの名といわれる。

・行徳の俎:馬鹿で人擦れしていること。江戸時代、千葉県行徳町では馬鹿貝がたくさん獲れ、ここの俎は馬鹿貝ですれているということからできた言葉。

・市が栄えた:「一期栄えた」の転じたものといわれる。 御伽おとぎ話・昔話などの最後につける言葉。「一生涯幸せに繁栄した」「めでたし、めでたし」の意。

・永日:いずれ日ながの折にゆっくり会おうの意から、別れのあいさつや手紙の結びに用いる語。

・面晤:面会すること。

・洒掃薪水:家事仕事のこと。「洒掃」は掃除、「薪水」は炊事のこと。水をまいて箒で掃き掃除をして、薪を集め、水を汲んで炊事をするという意味から。

・堵物:金銭。「阿堵物」の略。

・many a slip 'twixt the cup and the lip:There's many a slip twixt the cup and the lip. 「茶わんを口に持っていくまでのわずかな間にもいくらでもしくじりはある。」人間いつ死ぬかわからないの意か。



現代でも当てはまる言説
・「人間というものは時間を潰すために強いて口を運動させて、可笑しくもない事を笑ったり、面白くもない事を嬉しがったりする外に能もない者だと思った。」(p79)

・「要するに主人も寒月も迷亭も太平の逸民で、彼らは糸瓜の如く風に吹かれて超然と澄し切っているようなものの、その実はやはり娑婆気もあり慾気もある。競争の念、勝とう勝とうの心は彼らが日常の談笑中にもちらちらとほのめいて、一歩進めば彼らが平常罵倒している俗骨どもと一つ穴の動物になるのは猫より見て気の毒の至りである。」(p79)



読みづらい漢字
・認め(したた・め)
・紀念(かたみ)
・堆く(うずたか・く)
・爛れ(ただ・れ)
・慥かに(たし・かに)
・天鵞毛(ビロウド)
・顋(あご)
・仮色(こわいろ)
・凋む(しぼ・む)




参考図書
『漱石全集』第一巻、第二巻 岩波書店 1978年
『吾輩は猫である』 岩波文庫
『漱石大全』Kindle版 第3版 古典教養文庫
『カラー版新国語便覧』 第一学習者 1990年
『漱石とその時代』1~3 江藤淳 著 新潮選書
『決定版 夏目漱石』 江藤淳 著 新潮文庫
『夏目漱石を読む』 吉本隆明 著 ちくま文庫
『特講 漱石の美術世界』 古田亮 著 岩波現代全書

日本大百科全書 小学館
世界大百科事典 平凡社
デジタル大辞泉 小学館
ブリタニカ国際大百科事典 ブリタニカ・ジャパン


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今日の日に寄せて 冬至

今日の日
12 /22 2018
12月22日 冬至

二十四節気の一つで、第22。

定気法では太陽黄経が270度のとき大雪ののち約15日目、新暦で12月22日頃。

恒気法の基点となる冬至は定気法と同じ定義。

定気法と恒気法で一致する唯一の節気。

二至二分の一つ。

太陽が軌道上の最も南に来るときで、夜が最も長く、昼が短い日。

この日から日が伸び始めることから、古くはこの日が年の始点と考えられた。

翌日からは再び太陽の力が強まるということから、運が向いてくるとされている。

『暦便覧』では、「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」と説明している。




日本の行事・暦:http://koyomigyouji.com/24-toji.html
こよみのページ:http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/24doc.htm


参考書籍
日本大百科全書 小学館
世界大百科事典 平凡社

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