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「文学の役割」 1989.3.16.
・パスカル(Blaise Pascal 1623〜1662):フランスの数学者、物理学者、哲学者。死後出版された『パンセ』で知られる。初版は、『宗教その他若干の主題についてのパスカル氏の思想』という題で1670年に出された。この書の基本的骨組みは、第一に偉大と悲惨の弁証法が語られ、第二にこれを解決するために哲学の無力が明らかにされ、第三にイエスの愛による解決の方向が指示される、という構成になっている。人間は広大無辺な宇宙に比べるならば、ほとんど一つの点に等しい。1本の葦のように弱い存在である。だが、それは「考える葦」である。「空間によって宇宙は私を包み、一つの点として私を飲み込む。だが、思考によって私は宇宙を包む」。ここに人間の尊厳がある。人間は偉大であると同時に悲惨であり、自分の悲惨を知るゆえに偉大である。哲学者はこの二律背反をけっして解決してはいない。人間によっては解決できないこの矛盾は、神の偉大さと人間の悲惨を一身に体現したイエス・キリストによって初めて解決される、と説く。12歳でユークリッド幾何学の定理32までを独力で考えだし、16歳のとき『円錐(えんすい)曲線試論』を書き、世を驚嘆させた。「パスカルの原理」を発見。
・護教論:キリスト教神学の一部門。異教徒からの非難・攻撃に対し、キリスト教の真理を弁護・弁証する論。弁証論。
・サン・シモン(Louis de Rouvroy, duc de Saint-Simon 1675〜1755):フランスの作家、政治家。主著『回想録』は1694年から1752年にかけて書き続けられたもので(ただし公刊は死後)、ルイ14世の治世の末年と摂政時代(1694~1723)とについての貴重な証言とされ、宮中での式典や逸話の詳述、国王をはじめとする人物の肖像が表現され、モラリスト文学として不朽の価値をもつといわれている。
・『ローマ帝国衰亡史』(1776〜1788):イギリスの歴史家エドワード・ギボンの手になる古典的歴史書であるが、単なる歴史書ではなく、啓蒙時代のイギリス文学の白眉と目される。五賢帝時代(96年より180年)における古代ローマ帝国の最盛期から始まり、ローマ帝国の東西分裂、ユスティニアヌス1世によるローマ帝国再興の試み、勃興するイスラーム勢力との抗争、十字軍などを描き、オスマン帝国によるコンスタンティノープル陥落(1453年)によって東ローマ帝国が滅亡するまでを記している。ローマ衰退の原因を、その文化的・道義的退廃、清新なゲルマン人の進出に帰すだけでなく、隷従的宗教たるキリスト教の発展がローマ的価値を貶めたことを一因としており、ギボンの時代キリスト教会の反感を招いた。
・『ジョンソン伝』:イギリスの弁護士ボズウェルが書いたサミュエル・ジョンソンに関する伝記。1763年5月16日サミュエル・ジョンソン博士と会いその人格にひかれ、機会あるごとに博士の言動を細かく観察し、会話を記録、手紙を集め、ときには巧みに作為を加え、豊富な資料を駆使して博士の人物像を描く。
・『三酔人経綸問答』:中江兆民が書いた政治評論書。1887年刊。徹底した西洋近代思想を説く洋学紳士と、膨張主義的国権思想を唱える豪傑君が、現実主義的民権論者の南海先生宅を訪れ、酒を酌み交わしながら日本の進むべき道を論じる形式をとる。兆民の実際上の選択は南海先生の線にそうものであったが、紳士君の論を「将来の祥瑞」、豪傑君の論を「過去の奇観」と規定するその現実主義的選択には、前者が帝国主義化しはじめた西欧で時代遅れの理想とされ、後者が列強をめざす日本の将来像になろうとしていた時代の趨勢自体への鋭い対立と批判が含まれていた。
・『文明論の概略』:福沢諭吉が書いた文明論。1875年刊。日本文明を歴史的に反省して、その停滞性は権力偏重にあると批判し、それを克服して自由な交流・競合を図るなかに文明は発達すると指摘、文明を野蛮・未開・文明の発達段階論でとらえた史観を提示するとともに、さしあたっては西洋文明を目的にすべきだと説きつつも、西洋文明もまた発達途次のものであるとした。
・『明治文学全集』:
http://www.chikumashobo.co.jp/special/meijibungaku/・『百一新論』:明治時代の啓蒙思想家西周が私塾で行った講義を基にして出版したもの(1874)。
・『善の研究』:哲学者西田幾多郎最初の体系的著述。 観念論と唯物論の対立などの哲学上の根本問題の解決を純粋経験に求め、主客合一などを説いて、知識・道徳・宗教の一切を基礎づけようとした。当時の哲学徒をして、明治以後の日本人の手になる最初の独創的な哲学の書と称賛せしめた。
・『柳橋新誌』:成島柳北の漢文随筆。の随筆集。初編と二編は 1874年刊、三編は 76年に成ったが発行停止で散逸した。初編は幕末、二編は明治初年の東京柳橋の花街風俗をつづっている。
・『東洋の理想』:明治・大正の美術運動の指導者岡倉天心の著作。英文で書かれ、原題はThe Ideals of the East with Special Reference to the Art of Japan。1903年刊。冒頭の文章“Asia is One.”(アジアは一つである)は有名。インドの仏教、中国の儒教や道教に代表されるアジアの思想を紹介し、西洋の思想に対するその優位を説き、アジアの理想が日本の芸術のなかにいかに結晶しているかを、歴史の流れに従って述べている。
・森有礼(1847―1889):明治前半期の啓蒙思想家、外交官、教育行政家。初代文部大臣。明六社を設け、男女同権を論じて世論を導く一方、商法講習所(のちの一橋大学)を興して商業教育の端緒を開くなど幅広い啓蒙活動を展開した。1885年内閣制度の成立とともに第一次伊藤内閣の文相となった。1886年には帝国大学令など一連の学校令を公布して学校体系の整備を図り、とくに人材育成のため師範教育を重視した。
・植木枝盛(1857―1892):明治前期の思想家、自由民権論者。1874年板垣退助の演説を聞いて政治に志し翌年上京、明六社の演説会などで啓蒙思想に接した。1877年帰郷して立志社に加入し、立志社建白書の草稿を起草。1880年には愛国社の機関誌『愛国志林』の編集、国会期成同盟や第一次自由党(自由党準備会ともいわれる)に参加、1881年には私擬憲法中もっとも民主主義に徹底した「日本国国憲按」を起草し、さらに自由党結成に参画した。主著『民権自由論』、『天賦人権弁』、『東洋之婦女』など。
・田口鼎軒(田口卯吉1855―1905):明治期の経済学者、史論家、法学博士。最初医学を志したが,大蔵省翻訳局上等生徒となり,英語,経済学を修め、『日本開化小史』(1877-82)や『自由貿易日本経済論』(1878)を著す。『群書類従』『続群書類従』の出版に努め、さらに日本史研究の基本史料として『国史大系』『続国史大系』を編纂・刊行し、歴史研究の先駆、啓蒙的史論の中心となった。
・『日本開化小史』:田口卯吉が著した啓蒙主義的文明史論に基づく日本通史。1877年9月から82年10月までに和装六冊本として刊行。バックルやギゾーらのヨーロッパ文明史論、福沢輸吉の文明論の影響下に、新井白石の『読史余論』などの論述を継承して、神代から徳川期の治世までの日本史の展開を13章にまとめている。「貨財」(経済)を歴史の原動力として、政治、経済、文学、宗教などの各分野を総合的に考究した初めての史書。
・原勝郎(1871-1924):歴史学者。西洋史の研究を通じて日本にも西洋史の中世と同じようなものがあったことを指摘し、鎌倉~戦国時代をはじめて「日本中世」と区分し、文化の地方拡伸を通じて武士階級を新文明の担い手と意義づけるなど、同期の研究を開拓した。1906年『日本中世史』を刊行。
・漱石(夏目漱石 1867〜1916):明治・大正期の小説家・英文学者。英国留学後、教職を辞して朝日新聞の専属作家となった。自然主義に対立し、心理的手法で近代人の孤独やエゴイズムを追求、晩年は「則天去私」の境地を求めた。日本近代文学の代表的作家。主な著作「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「三四郎」「それから」「行人」「こころ」「道草」「明暗」など。
・円朝(三遊亭円朝 1839~1900):幕末から明治の落語家。人情噺を大道具・鳴り物入りで演じて人気を博したが、のち素噺に転向。近代落語の祖。代表作「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」「怪談牡丹灯籠」「塩原多助一代記」など。
・露伴(幸田露伴 1867~1947):小説家・随筆家・考証家。1889「露団々」「風流仏」で名声を確立。尾崎紅葉と並ぶ作家となった。のち考証・史伝・随筆に新境地を開いた。第1回文化勲章受章。主な著作は、小説「五重塔」「風流微塵蔵」「運命」「連環記」、評釈「芭蕉七部集」など。
・内村鑑三(1861~1930):無教会派キリスト教伝道者・評論家。一高教授のとき、教育勅語に対する敬礼を拒否して免職となる。日露戦争に際し、非戦論を唱えた。雑誌「聖書之研究」創刊。主な著作は「余は如何にして基督信徒となりし乎」「基督信徒の慰」「求安録」など。
・『当世書生気質』:坪内逍遥の小説。1885年6月~86年1月、全17冊で刊行。角書に「一読三嘆」と冠する。書生小町田燦爾と芸妓田の次との恋愛を描いた人情本風の物語に東京の書生たちの風俗をスケッチした滑稽本風の挿話がからむ。『小説神髄』の模写理論を踏まえるかたちで書生の生態が描かれている。
・『浮雲』:二葉亭四迷の小説。1887年第1編、88年第2編刊、第3編は89年「都の花」に連載。学問はできるが観念的で融通の利かない官吏の内海文三、その従妹で流行に弱いお勢、学問よりも要領よく出世することを第一とする本田昇の3人の葛藤を通じて明治文明を風刺した作品。未完。
・中江兆民(1847~1901):明治時代の自由民権思想家。1871年司法省から派遣されフランスへ留学。1881年西園寺公望らと『東洋自由新聞』を創刊。1882年『民約訳解』を発表してルソーの社会契約・人民主権論を紹介し、自由民権運動に理論的影響を与えた。1887年『三酔人経綸問答』を発表。
・福沢諭吉(1834~1901):明治時代の啓蒙思想家。慶應義塾の創立者。緒方洪庵に学ぶ。欧米巡歴3回。明六社創立に参加。1879年に『国会論』を著し、民権運動に影響を与える。のち「脱亜入欧」を主張して、国権論に傾く。主著『学問のすすめ』(1872~76)、『文明論之概略』(1875)、『福翁自伝』(1899)。
・自由民権運動:日本のブルジョア民主主義革命運動。国会開設、憲法制定、地租軽減、地方自治、不平等条約撤廃という五大要求を掲げ、明治政府が意図する絶対主義的天皇制国家に対し、民主主義的な立憲制国家をつくろうとした。1874年板垣退助らの民撰議院設立建白書の提出が運動の出発であり、80~81年が高揚期、84年の激化事件で解体期に入り、87年の不平等条約の不十分な改正案反対を中心とする三大事件建白運動、大同団結運動から、「民力休養」が主張される第4議会(1892)まで運動は引き継がれる。明治政府は讒謗律、新聞紙条例、出版条例改正(以上1875)、集会条例(1880)、集会条例改正追加(1882)などで運動を厳しく弾圧した。
・帝国憲法(大日本帝国憲法):1889年2月11日に発布された欽定憲法。ドイツ憲法に範をとり、伊藤博文らが起草。天皇を元首とし、国民を臣民とする主権在君憲法。1947年の日本国憲法施行により廃止。
参考書籍
日本大百科全書 小学館
世界大百科事典 平凡社
デジタル大辞泉 小学館
日本史用語集 山川出版社