fc2ブログ

文学作品最初と最後の一文  梶井基次郎 ④

最初と最後の一文
03 /25 2023
16.『桜の樹の下には』(1928年)
最初の一文:「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」
最後の一文:「今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいてゐる村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めさうな気がする。」


17.『愛撫』(1930年)
最初の一文:「猫の耳というものはまことに可笑しなものである。」
最後の一文:「お前はすぐ爪を立てるのだから。」


18.『闇の絵巻』(1930年)
最初の一文:「最近東京を騒がした有名な強盗が捕まって語ったところによると、彼は何も見えない闇の中でも、一本の棒さえあれば何里でも走ることができるという。」
最後の一文:「それを思い浮かべるたびに、私は今いる都会のどこへ行っても電燈の光の流れている夜を薄っ汚なく思わないではいられないのである。」


19.『交尾』(1931年)
最初の一文:「星空を見上げると、音もしないで何匹も蝙蝠が飛んでいる。」
最後の一文:「世にも美しいものを見た気持で、しばらく私は瀬を揺がす河鹿の声のなかに没していた。」


20.『のんきな患者』(1932年)
最初の一文:「吉田は肺が悪い。」
最後の一文:「しかし病気というものは決して学校の行軍のように弱いそれに堪えることのできない人間をその行軍から除外してくれるものではなく、最後の死のゴールへ行くまではどんな豪傑でも弱虫でもみんな同列にならばして嫌応いやおうなしに引き摺ずってゆく――ということであった。」



参考書籍
『梶井基次郎全集』 筑摩学芸文庫 1986年


本日もご訪問いただきありがとうございました。



備忘録・雑記ラ
スポンサーサイト



文学作品最初と最後の一文  梶井基次郎 ③

最初と最後の一文
03 /10 2023
11.『蒼穹』(1928年)
最初の一文:「ある晩春の午後、私は村の街道に沿った土堤の上で日を浴びていた。」
最後の一文:「濃い藍色に煙りあがったこの季節の空は、そのとき、見れば見るほどただ闇としか私には感覚できなかったのである。」


12.『筧の話』(1928年)
最初の一文:「私は散歩に出るのに二つの路を持っていた。」
最後の一文:「「生の幻影は絶望と重なっている」」


13.『器楽的幻覚』(1928年)
最初の一文:「ある秋仏蘭西から来た年若い洋琴家がその国の伝統的な技巧で豊富な数の楽曲を冬にかけて演奏して行ったことがあった。」
最後の一文:「私の予感していた不眠症が幾晩も私を苦しめたことは言うまでもない。」


14.『冬の蠅』(1928年)
最初の一文:「冬の蠅とは何か?」
最後の一文:「そして私はその空想からますます陰鬱を加えてゆく私の生活を感じたのである。」


15.『ある崖上の感情』(1928年)
最初の一文:「ある蒸し暑い夏の宵のことであった。
最後の一文:「「そして崖の上にこんな感情のあることを――」」



参考書籍
『梶井基次郎全集』 筑摩学芸文庫 1986年


本日もご訪問いただきありがとうございました。



備忘録・雑記ラ

文学作品最初と最後の一文  梶井基次郎 ②

最初と最後の一文
02 /24 2023
6.『過古』(1926年)
最初の一文:「母親がランプを消して出て来るのを、子供達は父親や祖母と共に、戸外で待っていた。」
最後の一文:「そのままの普段着で両親の家へ、急行に乗って、と彼は涙の中に決心していた。」


7.『雪後』(1926年)
最初の一文:「行一が大学へ残るべきか、それとも就職すべきか迷っていたとき、彼に研究を続けてゆく願いと、生活の保証と、その二つが不充分ながら叶えられる位置を与えてくれたのは、彼の師事していた教授であった。」
最後の一文:「買物があるという姑を八百屋の店に残して、彼は暗い星の冴えた小路へ急ぎ足で入った。」


8.『ある心の風景』(1926年)
最初の一文:「喬は彼の部屋の窓から寝静まった通りに凝視っていた。」
最後の一文:「「そとの虫のように……青い燐光を燃もやしながら……」」


9.『Kの昇天』(1926年)
最初の一文:「お手紙によりますと、あなたはK君の溺死できしについて、それが過失だったろうか、自殺だったろうか、自殺ならば、それが何に原因しているのだろう、あるいは不治の病をはかなんで死んだのではなかろうかと様さまに思い悩んでいられるようであります。」
最後の一文:「その時刻の激浪に形骸の翻弄を委ねたまま、K君の魂は月へ月へ、飛翔し去ったのであります。」


10.『冬の日』(1927年)
最初の一文:「季節は冬至に間もなかった。」
最後の一文:「知らない町の知らない町角で、堯の心はもう再び明るくはならなかった。」



参考書籍
『梶井基次郎全集』 筑摩学芸文庫 1986年


本日もご訪問いただきありがとうございました。



備忘録・雑記ラ

文学作品最初と最後の一文  梶井基次郎 ①

最初と最後の一文
02 /10 2023
1.『檸檬』(1925年)
最初の一文:「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)えつけていた。」
最後の一文:「そして私は活動写真の看板画が奇体な趣きで街を彩っている京極を下って行った。」


2.『城のある町にて』(1925年)
最初の一文:「「高いとこの眺めは、アアッ(と咳をして)また格段でごわすな」」
最後の一文:「彼はまだ熱い額を感じながら、城を越えてもう一つ夕立が来るのを待っていた。」


3.『泥濘』(1925年)
最初の一文:「それはある日の事だった。」
最後の一文:「自分は自分の下宿の方へ暗い路を入って行った。」


4.『路上』(1925年)
最初の一文:「自分がその道を見つけたのは卯の花の咲く時分であった。」
最後の一文:「帰って鞄を開けて見たら、どこから入ったのか、入りそうにも思えない泥の固りが一つ入っていて、本を汚していた。」


5.『橡の花』(1925年)
最初の一文:「この頃の陰鬱な天候に弱らされていて手紙を書く気にもなれませんでした。」
最後の一文:「妄想で自らを卑屈にすることなく、戦うべき相手とこそ戦いたい、そしてその後の調和にこそ安んじたいと願う私の気持をお伝えしたくこの筆をとりました。」



参考書籍
『梶井基次郎全集』 筑摩学芸文庫 1986年


本日もご訪問いただきありがとうございました。



備忘録・雑記ラ

文学作品最初と最後の一文  幸田露伴 ②

最初と最後の一文
01 /27 2023
6.『平将門』(1920年)
最初の一文:「千鍾の酒も少く、一句の言も多いといふことがある。」
最後の一文:「こんな事は余談だ、余り言はずとも「春は紺より水浅黄よし」だ。」


7.『蒲生氏郷』(1989年)
最初の一文:「大きい者や強い者ばかりが必ずしも人の注意に値する訳では無い。」
最後の一文:「家康も家康公と云って然るべき方である、利家も利家公と云って然るべき人である、其他上杉でも島津でも伊達でも、当時に立派な沸り立った魂は少くないが、朝鮮へ国替の願を出そう者は、忠三郎氏郷のほかに誰が有ったろう。」


8.『運命』(1925年)
最初の一文:「世おのずから数すうというもの有りや。有りといえば有るが如ごとく、無しと為なせば無きにも似たり。」
最後の一文:「而して楡木川の客死、高煦の焦死、数たると数たらざるとは、道衍袁垬の輩の固より知らざるところにして、たゞ天之を知ることあらん。」



参考書籍
『幸田露伴全集』 Kindle版


本日もご訪問いただきありがとうございました。



備忘録・雑記ラ

Radiology2003

本日もご訪問いただきありがとうございます。
日々の生活の中で感じたこと・調べたことを備忘録として残しています。