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対訳『古事記伝』 127

本居宣長
09 /11 2023
631.彼ノ浄御原ノ天皇は、撰録(フミシルス)に及び賜はで、崩坐(カミアガリマシ)しかば、かの舊辭は、阿禮が口に留(トドマ)れりしを、此ノ平城(ナラ)の大御世に至て、事遂行(コトトゲオコナ)はせ賜へるなり、

訳:かの浄御原の天皇は、撰録が完成する前にご崩御になられたので、例の旧辞は阿禮の口に留まったままになっていたのを、この平城の御世(元明天皇)に至って、撰録を完成おさせになったのである。

 
632.故レ安萬侶ノ朝臣の撰録(エラビシル)されたるさまも、彼ノ天皇たちの大御志のまにまに、旨と古語を厳重(オモ)くせられたるほど灼然(イチジロ)くて、高天原の註に、訓テ高ノ下ノ天ヲ云阿麻としるし、天比登都柱(アメヒトツバシラ)の註には、訓ムコト天ヲ如シ天ノなどしるし、或は讀聲(ヨムコエ)の上下(アガリサガリ)をさへに、委曲(ツバラカ)に示し諭しおかれたるをや、

訳:そのため安萬侶朝臣の撰録の書きぶりも、その天皇たちの大御志に従って、古言を重視したことが顕著であり、高天原の註に、高の字の下の天の字を「あま」と記述し、天比登都柱の註に「天の字は天と読む」と書き、あるいは読む声の抑揚も詳細に示したのであった。


633.如此(カカ)有レば今是レを訓マむとするにも、又上ノ件の意をよく得て、一字(ヒトモジ)一言(ヒトコト)といへども、みだりにはすまじき物ぞ、

訳:そうであるので、今『古事記』を読もうとする場合も、上記の意図をよく理解し、一字一句といえどもおろそかに扱ってはならない。

 
634.さて然つつしみ厳重(オモ)くするにつきては、漢籍(カラブミ)また後ノ世の書をよむとは異にして、いとたやすからぬわざなり、

訳:しかしそのように厳格に扱おうとすると、漢籍や後代の書を読むのとは違って、それほど容易なことではない。


635.いで其ノ由をいはむ、

訳:その理由を述べよう。



参考書籍
『本居宣長全集』第九巻 筑摩書房 1966年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『古事記注釈 第一巻』 西郷信綱 著 ちくま学芸文庫 2005年
『本居宣長『古事記伝』を読む』Ⅰ~Ⅳ 2010年
『新版古事記』 中村啓信 訳注 KADOKAWA 2014年 電子書籍版
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年
『日本書紀上・下』 井上光貞監訳 2020年 電子書籍版



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対訳『古事記伝』 126

本居宣長
08 /27 2023
626.此ノ大御志(オホミココロザシ)をよく思ひはかり奉て、古語のなほざりにすまじきことを知べし、

訳:この大御志(おおみこころざし)をよく慮り、古語をなおざりにしてはならないことを知るべきである。

 
627.これぞ大御國の學問(モノマナビ)の本なりける、

訳:これこそ日本における学問の根本である。


628.もし語にかかはらずて、ただに義理(コトワリ)をのみ旨とせむには、記録を作らしめむとして、先ヅ人の口に誦習(ヨミナラ)はし賜はむは、無用(イタヅラ)ごとならずや、

訳:もし語を大事にせず、ただそこに記された意味だけを旨とするのであったら、記録を作らせるために、先ず人にそれを暗唱おさせになることは、意味のないことではないだろうか。

 
629.然(サ)て次に、此記を撰(ツク)らせらるる事を云る處にも、舊辭のたがひゆくことを惜み賜ひ、先紀の誤あるを、正し給はむとして、安萬侶ノ朝臣に仰せて、阿禮が誦(ヨミ)うかべたる勅語の舊辭を、撰録(エラビシル)さしむとあり、

訳:さらに、この記を撰述させることを述べたところでも、旧辞が間違ったものになって行くのをお惜しみになり、先紀の誤っているのをお正しになろうとして、安萬侶朝臣に仰せつけられ、阿禮が暗誦する勅語の旧辞を、記録させたとある。


630.此處にも舊辭とあるを以て、此ノ大御世の天皇の大御心ざしをも、おしはかり奉るべし、

訳:ここにも「旧辞」とあることを以てしても、この大御世の天皇の大御志を推し測り奉るべきである。



参考書籍
『本居宣長全集』第九巻 筑摩書房 1966年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『古事記注釈 第一巻』 西郷信綱 著 ちくま学芸文庫 2005年
『本居宣長『古事記伝』を読む』Ⅰ~Ⅳ 2010年
『新版古事記』 中村啓信 訳注 KADOKAWA 2014年 電子書籍版
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年
『日本書紀上・下』 井上光貞監訳 2020年 電子書籍版



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対訳『古事記伝』 125

本居宣長
08 /13 2023
621.さて其(ソ)を彼ノ阿禮に仰せて、其ノ口に誦(ヨミ)うかべさせ賜ひしは、いかなる故ぞといふに、萬ヅの事は、言(コト)にいふばかりは、書(フミ)にはかき取りがたく、及ばぬこと多き物なるを、殊に漢文にしも書クならひなりしかば、古語を違へじとては、いよいよ書キ取リがたき故に、まづ人の口に熟(ツラツラ)誦(ヨミ)ならはしめて後に、其ノ言の隋(マニマ)に書録(カキシル)さしめむの大御心にぞ有リけむかし、

訳:さてそれをかの稗田阿禮に仰せて、暗誦させられたのは、なぜかと言えば、すべてのことは、口に出した言葉は、文字に書き取ることは難しく、真意を十分伝えられないことが多く、ことに漢文にして書くことが当時の習慣であったため、古語を書き違えずに書き取るのはますます難しい。それゆえ、まず人の口にしっかり暗誦させた後に、その言葉の通りに記録させようという考えがあってのことと思われる。

 
622.【當時(ソノカミ)、書籍ならねど、人の語にも、古言なほのこりて、失(ウセ)はてぬ代(ヨ)なれば、阿禮がよみならひつるも、漢文の舊記に本づくとは云へども、語のふりを、此間(ココ)の古語にかへして、口に唱へこころみしめ賜へるものぞ、

訳:【当時、まだ本になってはいなかったけれども、人の言葉にはまだ古言が残り、失せ果ててはいない時代だったので、阿禮が暗誦したのも、漢文の旧記に基づいていたとはいえ、言葉のさまを、我が国の古語に戻して、口に唱える試みをおさせになったのだろう。


623.然せずして、直(タダ)に書(フミ)より書にかきうつしては、本の漢文のふり離れがたければなり、

訳:そうせずに、ただ書を他の書に書き写すのであれば、元の漢文の言葉から離れられないからである。

 
624.或人、其ノ時既に諸家の記録ども、誤りおほしとならば、阿禮は何(イズ)れの書によりて、實の古語をば、誦ならへるにかと疑ふ、

訳:ある人は「その頃既に諸家の記録に誤りが多かったというのなら、阿禮は一体どの記録によって、本当の古語を暗誦することができたのか」と疑った。


625.其はそのかみなほ誤リなき記録も遺れりけむを、よく擇(エラビ)てぞ取ラれけむ、】

訳:当時誤りのない記録も残っていたので、それらから慎重に撰び取ったのであろう。】



参考書籍
『本居宣長全集』第九巻 筑摩書房 1966年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『古事記注釈 第一巻』 西郷信綱 著 ちくま学芸文庫 2005年
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『新版古事記』 中村啓信 訳注 KADOKAWA 2014年 電子書籍版
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対訳『古事記伝』 124

本居宣長
07 /30 2023
616.いで其ノ所由(ユエ)はいかにといふに、序に、飛鳥ノ浄御原ノ宮ニ御宇(アメノシタシロシメシシ)天皇の大詔命(オホミコト)に、家々にある帝紀及(マタ)本辭、既に實を失ひて、虚偽(カザリ)おほければ、今その誤を正しおかずは、いくばくもあらで、其ノ旨うせはてなむ、

訳:その理由はと言えば、序文に「飛鳥の浄御原の宮の天皇の詔で、家々にある帝紀および本辞は、既に正実を失い、虚偽が多いため、今その誤りを正しておかなければ、遠からず本来の伝えは失われてしまうだろう。

 
617.故レ帝紀をえらび、舊辭を考へて偽をのぞきすてて、實(マコト)のかぎりを後ノ世に傳(ツタ)へむ、と詔たまひて、稗田阿禮といひし人に、大御口(オホミクチ)づから仰せ賜ヒて、帝皇ノ日繼と、先代の舊辭とを、誦(ヨミ)うかべ習はしむ、とあるをよく味ふべし、

訳:それ故帝紀を撰び、旧辞を検討して偽りを除き、できる限りの真実を後世に伝えよう」と仰せられ、稗田阿禮という人に、天皇自ら直接命ぜられて、帝皇日継と先代の旧辞を暗誦させ学習させられた、とあるのをよくよく考えるべきだ。


618.帝紀とのみはいはずて、舊辭本辭などいひ、又次に安萬侶ノ朝臣の撰述(コノフミツク)れることを云る處にも、阿禮が誦(ウカベ)たる勅語ノ舊辭を撰録すとあるは、古語を旨とするが故なり、

訳:帝紀とだけ言うのでなく、旧辞本辞にも言及し、また次に安萬侶朝臣が撰述したことを述べているところにも、阿禮が暗誦した勅語の旧辞を撰録したと書いてあるのは、古語を伝えることを主眼とする意図があったからである。

 
619.彼ノ詔命(オホミコト)を敬(ツツシミ)て思ふに、そのかみ世のならひとして、萬ノ事を漢文に書キ傳ふとては、其ノ度ごとに、漢文章(カラコトバ)に牽(ヒカ)れて、本の語は漸クに違ひもてゆく故に、如此(カク)ては後遂(ノチツヒ)に、古語はひたぶるに滅(ウセ)はてなむ物ぞと、かしこく所思看(オモホシメ)し哀(カナシ)みたまへるなり、

訳:その詔命を敬い思うに、当時の世の習いとして、万事漢文風に書き伝えてしまっては、その度ごとに漢文風の意味に引き寄せられ、本来の語の意味が次第に違った風に伝えられて、そうなっては後にはついに、古語はひたすら滅んでしまうだろうと、賢明な判断をなさりまた哀しくお思いになったのである。


620.殊に此ノ大御代は、世間(ヨノナカ)改まりつるころにしあれば、此ノ時に正しておかでは、とおもほしけるなるべし、

訳:特にこの天皇がお治めの時代は、世の中が大きく変化していた時代だったので、今正しい記録を残さなければ、とお考えになったのであろう。



参考書籍
『本居宣長全集』第九巻 筑摩書房 1966年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『古事記注釈 第一巻』 西郷信綱 著 ちくま学芸文庫 2005年
『本居宣長『古事記伝』を読む』Ⅰ~Ⅳ 2010年
『新版古事記』 中村啓信 訳注 KADOKAWA 2014年 電子書籍版
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年
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対訳『古事記伝』 123

本居宣長
07 /15 2023
611.別に一種なるが故に、其ノ目(ナ)を立て、借字(カリモジ)とは云り、

訳:別種の用法であるから、別の範疇を立てて「借字」と称したのである。

 
612.◯ニ合の借字
[アナ]穴 [イク]活 [イチ]市 [イナ]稻 [イハ]石 [イヒ]飯 [イリ]入 [オシ]忍押 [カタ]方 [カネ]金 [カリ]刈 [クシ]櫛 [クヒ] 杙咋 [クマ]熊 [クラ]倉 [サカ]坂酒 [シロ]代 [スキ]鉏 [ツチ]椎 [ツヌ]角 [トリ]鳥 [ハタ]幡 [フル]振 [マタ]俣 [マヘ]前 [ミミ]耳 [モロ]諸 [ヨリ]依 [ワケ]別 [ヲリ]折

訳:◯ニ合の借字
[アナ]穴 [イク]活 [イチ]市 [イナ]稻 [イハ]石 [イヒ]飯 [イリ]入 [オシ]忍、押 [カタ]方 [カネ]金 [カリ]刈 [クシ]櫛 [クヒ] 杙、咋 [クマ]熊 [クラ]倉 [サカ]坂、酒 [シロ]代 [スキ] 鉏 [ツチ]椎 [ツヌ]角 [トリ]鳥 [ハタ]幡 [フル]振 [マタ]俣 [マヘ]前 [ミミ]耳 [モロ]諸 [ヨリ]依 [ワケ]別 [ヲリ]折


613.ことわり一音の借字と全(モハ)ら同じ、

訳:これも事情は一音の借字ともっぱら同様である。

 
614.さてニ合の借字、上件の外なほいと多かるを、今はただ、其中にあまた處に見えたるをえり出て、此レ彼レあぐるのみなり

訳:さてこの二合の借字は、ここに挙げたほかにも大変多いが、ここではただ、その多数の例の中から抽出して、いくつかを挙げたまでである。


  訓法(ヨミザマ)の事


615. 凡て古書は、語を厳重(オゴソカ)にすべき中にも、此記は殊に然あるべき所由(ユエ)あれば、主(ムネ)と古語を委曲(ツバラカ)に考へて、訓を重くすべきなり、

訳:およそ古い書物は言葉を厳正に扱うべきで、中でも『古事記』は特別にそうすべき理由があるので、その意味と言葉を詳細に考え、読みを重んじるべきである。



参考書籍
『本居宣長全集』第九巻 筑摩書房 1966年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『古事記注釈 第一巻』 西郷信綱 著 ちくま学芸文庫 2005年
『本居宣長『古事記伝』を読む』Ⅰ~Ⅳ 2010年
『新版古事記』 中村啓信 訳注 KADOKAWA 2014年 電子書籍版
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年
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