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『百人一首一夕話』私訳 元良親王③

百人一首
04 /01 2024
 『後撰集』に「侘びぬれば今はた同じ」という歌を入れて、京極の御息所に贈られた旨の詞書がある。この御息所というのは藤原褒子(ほうし)という名で、時平公の娘で、宇多天皇がご寵愛になり女御として雅明(まさあきら)親王・載明(としあきら)親王などをお産みになった。元良親王がこの女御と男女の関係になられたのであるが、それが周囲にバレて不遇の経験をされた時の歌である。この御息所のことは元良親王の家集に、
 「京極の御息所がまだ亭子院(ていじのゐん)でいらっしゃった時にお見初めになり、九月九日にお贈りになった歌
 世に経ればありてふ事をきくの花めで過ぎぬべき心地こそすれ
 (世にある限りは、長寿をかなえてくれると聞く菊の花をやはり飲まずにはいられない気持がしますよ。私も出家せずにいるので、あなたがまだ亭子院におられると聞けば、やはり恋い慕わずにはいられない気持ちですよ)
お逢いになって夢のような時間を過ごされた後、天皇がお忍びで御息所をお訪ねになるということで元良親王がお逢いになることができない時に
 麓さへあつくぞありける富士の山峰の思ひの燃ゆる時には
このほかにもこの御息所とやりとりなさった歌が多く見受けられる。そんなに頻繁に行き来されたために表沙汰になったのであろう。この家集には、様々な女性と詠みお交わしになった歌百六十余首が収められている。その中でも特に際立って色好みなのは、御姥の大炊大納言の北の方でいらっしゃった時、たいそうお忍びでお通になり、かの北の方より次の歌が贈られた。
 荒るる海にせかるる蜑はたちてなん今日は波間にありぬべきかな
この北の方がお亡くなりになった時、お悼みになってお詠みになった親王の歌も収載されている。『大日本史』ではこの親王の伝として「好倭歌甚好色(わかをこのみはなはだいろをこのむ)」と記されているのはもっともなことである。またこの親王の奏賀の声は、鳥羽の造道まで聞こえたことを兼好が書いている。


参考書籍
『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫 1972年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年


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『百人一首一夕話』私訳 元良親王②

百人一首
03 /16 2024
 元良親王の話
陽成天皇の御子元良親王は類まれな色好みでいらっしゃったので、その当時美しいと言われている女性には、会ったことがある人にもまだ会ったことがない人にも連絡をお取りになることを常とされていた。その頃枇杷左大臣仲平公のもとに女児があった。その名をいちや君といったが、外見美麗で気立てもすばらしかったので、熱心に言い寄る人は方々にあったけれども誰とも付き合わなかったのであるが、ある人が何度も一生懸命に恋い慕った結果断り切れずに会うことになった。その後この男は大臣の家にある女の部屋に通っていたが、元良親王はこのことをお知りにならなかった。その女性の美しさを耳にして度々人を遣わせになったけれども、女性は通ってくる男がいるとは言わず返事さえしないでつれなくあしらっていたところ、親王は次のような歌を贈られた。
 大空にしめ結ふよりもはかなきはつれなき人を頼むなりけり
 (大空にしるしの縄を張ろうとすることより虚しいことは、無情な人を頼みとすることであったよ)
これに対し女性は返歌はしたけれども、ついに逢うことはなかったということである。


参考書籍
『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫 1972年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年


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『百人一首一夕話』私訳 元良親王①

百人一首
02 /29 2024
陽成天皇第一の皇子で母君は主殿頭(とのものかみ)遠長(とほなが)の娘である。元慶元年従四位上また三位に叙せられ、兵部卿また式部卿とおなりになった。天慶六年七月お亡くなりになった。御年五十四歳であった。

 侘びぬれば今はた同じ難波なるみをつくしても逢はんとぞ思ふ

 『後撰集』恋五に「密通が発覚して後不倫相手の京極御息所に贈った歌」とある。歌の意味は「このようにつらい状況になってしまっているので、今やどうなっても同じことなので、難波の澪標という名のように我が身が尽き果て命を捨てても、あなたに逢いにうかがいましょう」というものである。澪標というものは難波の浦に立ててある棒杭のことで、水深の深さ浅さを量るしるしの杭である。



参考書籍
『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫 1972年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年


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『百人一首一夕話』私訳 伊勢⑤

百人一首
02 /13 2024
 伊勢はこれほどまでに世の中に愛された人であったけれども、年を経て後、家をお売りになったことが『古今集』の歌に見える。『古今集』に「家を売りて詠める」
  飛鳥川淵にもあらぬ 我が宿も 瀬にかはりゆく ものにぞありける
この歌の意味は次のようなものである。飛鳥川は瀬も淵も一定しておらず、変化しやすい川という言い伝えがある。私の家はその飛鳥川の淵ではないけれど、銭へと変わりゆくものでありましたよ。というもので、瀬という言葉を銭という字に掛けて詠まれたものである。伊勢御が世に落ちぶれになったことは、『古今集』のこの歌で知られている。しかし、『撰集抄』に伊勢が世の中に住む気力も失せて太秦に詣でになり詠まれたという歌があり、
  南無薬師憐み給へ世の中にありわづらふも同じ病ぞ
と詠まれたので、ご利益があって幸運を得られたように書いてあるのは、よくある何の根拠もない作り話で議論するに値しないことである。また伊勢と在原業平の間で贈答の歌があるというのも、時代が違うので大きな誤りである。それは仮名文字の誤りが原因で、枇杷左大臣仲平公と伊勢とのあいだの贈答歌を業平と読み間違ったものであると言われている。



参考書籍
『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫 1972年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年


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『百人一首一夕話』私訳 伊勢④

百人一首
01 /28 2024
 しばらくして紅色の袴を着た美しい女児が、銚子を持って簾の中から出てきて、趣のある絵が描かれたお盆に盃をのせて差し出して来た。また女房が蛮絵の文様の蒔絵を施した硯の箱の蓋に、涼しげな薄様の和紙を敷いて、何種類かの果物を入れて出してきた。酒を勧めるので盃を持つと、女児が銚子を持って酒をついだ。多いと言ったが重ねてついだ。自分が酒を飲むことをお見通しのようで、おもしろく感じた。飲んで盃を置こうとするも度々勧めてくるので、四五度は飲んで盃を置くも、簾の下から盃を差し出してもっと飲むように勧めてきて、断るけれども執拗に飲ませようとするのでそれに応じているうちにたいそう酔ってしまった。女房たちが少将を見ると、赤らんだ顔た桜の花の匂いと相俟って殊更美しかった。それからしばらくして、紫の薄様に歌を書いて結び、同じ色の薄様に包んで女用の装束を添えて押し出してきた。その色は極めて清らかですばらしいものであった。伊衡は思いがけないことが起きたと、その装束を取って立ち上がった。女房たちは少将が出ていくのを見送って、際限なく愛でたのであった。門を出て見えなくなるまで女房たちは見ていたが、伊衡の歩いていく姿が優美で端麗であった。車の緒とも聞こえなくなってしまいたいそう切なく感じられ、少将が座っていた茵の移り香もなつかしい気持ちがして、片付け難く思われた。かくして内裏では醍醐天皇が伊衡はまだ帰ってこないのかと人を使って確認させておられたが、殿上の間の入口に先導の馬の音がしてきたので、帰ってきましたと申し上げると急いで連れてきなさいとおっしゃる。道風は筆を濡らして準備万端で、天皇の前に控えている。そこへ伊衡が肩に担いできて、殿上の間の戸口に担いできたものを置いて歌を書いた和紙を持って天皇にさしあげる。天皇はこれを開いてご覧になると、たいそう端麗に書いてあり道風が書いたものにも引けを取らないように見えた。御息所の歌には
 散り散らず聞かまほしきを故郷の花見て帰る人も逢はなん
とあった。天皇はこれをご覧になって、とりわけ気に入って称賛される。前に控えている上達部や殿上人にこれを見てみなさいとお渡しになると、趣のある声で歌を詠ずるのが限りなく素晴らしく聞こえたのだった。みんなが何度も詠じたあと道風が書き記したということである。


参考書籍
『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫 1972年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年


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