『百人一首一夕話』私訳 在原業平朝臣①
百人一首
阿保親王第五子で、行平卿の弟であるが異母弟である。母は桓武天皇の皇女伊都内親王である。貞観の時代に左近衛中将、元慶の時代に兼相模美濃権守を務めた。世間で在五中将と呼んでいるのは、在原氏で第五子の中将であったからである。
千早ふる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは
『古今集』秋下で「二条の后が春宮(とうぐう)の御息所であった時、屏風に竜田川に紅葉が流れている情景が描いてあるのを題として詠んだ歌」とある。この出来事は二条の后が清和天皇がまだ即位されず東宮でいらっしゃったときにその御子をお産みになったことから、春宮の御妃と呼ばれていたということで、女御として皇子をお産みになれば「御息所」と呼んでいたのである。「千早ふる」は神の枕詞である。歌の意味は「神代の時代には様々な奇異現象があったと聞くが、今この竜田川の絵を見ると一面に赤い中に青い水が括り染めのように見える。このような奇異現象は神代にもあったとは聞かない」ということである。「からくれなゐ」とは赤色を称賛して言う表現である。昔は朝鮮半島から伝来する物を愛でて、「から藍」「から錦」「から櫛笥」などとも言った。
参考書籍
『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫 1972年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年
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千早ふる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは
『古今集』秋下で「二条の后が春宮(とうぐう)の御息所であった時、屏風に竜田川に紅葉が流れている情景が描いてあるのを題として詠んだ歌」とある。この出来事は二条の后が清和天皇がまだ即位されず東宮でいらっしゃったときにその御子をお産みになったことから、春宮の御妃と呼ばれていたということで、女御として皇子をお産みになれば「御息所」と呼んでいたのである。「千早ふる」は神の枕詞である。歌の意味は「神代の時代には様々な奇異現象があったと聞くが、今この竜田川の絵を見ると一面に赤い中に青い水が括り染めのように見える。このような奇異現象は神代にもあったとは聞かない」ということである。「からくれなゐ」とは赤色を称賛して言う表現である。昔は朝鮮半島から伝来する物を愛でて、「から藍」「から錦」「から櫛笥」などとも言った。
参考書籍
『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉著 岩波文庫 1972年
『岩波古語辞典』 岩波書店 1974年
『改訂増補 古文解釈のため国文法入門』 松尾聰 著 2019年
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